施設名 恵那山トンネル えなさんとんねる
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場所 中津川市神坂~長野県阿智村
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規模 全長8,649m(上り)、8,489m(下り)
設置者 (株)中日本高速道路
完成年 1975(昭50)年(下り);1985(昭60)年(上り)
概要    中央自動車道の中津川IC~園原IC(長野県)間にある長大トンネルであり、開通当初は道路トンネルとして日本最長であり、世界で2番目であったが、その後飛騨トンネルなどが開通したことで現在は全国で第6位である。名称の由来となる岐阜県の南東端部にある恵那山(標高2,191m)の下ではなく、実際にはその北東に約5kmほど離れた富士見台高原(最高点標高1,739m)の下を通っている。トンネルのおおよそ岐阜県側は濃飛流紋岩のNOHI-1に属する恵那火山灰流シートの中を、長野県側はそれを貫く伊奈川花崗岩苗木花崗岩の中をそれぞれ貫いている。これらの岩石は本来は堅硬な岩石として地下に存在していておかしくないが、岐阜県側では阿寺断層屏風山断層がぶつかる地域に、長野県側では神坂(みさか)断層や清内路(せいないじ)峠断層などの多数の活断層が分布する地域にそれぞれあたることで、掘削工事は破砕帯の連続となり難攻を極め、第1期で1967年から約8年を要した。
ジオ点描    トンネル掘削において最も困難な地質環境として挙げられるものが断層破砕帯である。岩盤が軟弱になることもさることながら、水の通り道となっていることが最大の難所となる理由である。大規模な出水に遭遇すると掘削の進捗具合に大きく影響することになる。硬い大地よりはその中に含まれる“軟らかい水”がトンネル掘削の是非を決めることになる。
写真 恵那山トンネルの西側切羽現場
(撮影:鹿野勘次)
写真 準備中
恵那山
木曽山脈の最南端にある標高2191mの独立峰で、広範囲にわたる地域から船を伏せたような大きな山容を望むことができる。山体は濃飛流紋岩のNOHI-1を構成する恵那火山灰流シートなどからなり、その下半部は伊奈川花崗岩に貫かれており、山体の南側には美濃帯堆積岩類が分布している。恵那山から根の上高原などを含めた屏風山(びょうぶさん)山塊は屏風山断層や恵那山断層などの活断層により上昇隆起したブロックであり、その東部ほど隆起量が大きいために西部に比べて相対的に標高の高い山体が形成されている。
富士見台高原
恵那山(標高2191m)から北東へ連なる山稜部にあたり、標高1739mを最高点として緩やかに起伏する高原である。すべて濃飛流紋岩のNOHI-1を構成する恵那火山灰流シートからなる。面積約1,000haにわたり一面を千島笹が生い茂っていることから眺望がきわめて良く、恵那山、飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈などの大パノラマが楽しめる。ただし富士山は見えない。高原の南側には古代東山道の中で最大の難所といわれた神坂(みさか)峠があり、高原の真下にあたる位置を中央自動車道の恵那山トンネルが貫いており、昔から現在に至るまで交通の要所としての役割を担っている場所となっている。
濃飛流紋岩
濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
伊奈川花崗岩
中部地方の領家帯を中心に美濃帯南部も含めてきわめて広い範囲に分布する巨大な花崗岩体であり、そのうち岐阜県内には濃飛流紋岩の南縁部においてそれとの接触部にあたる浅部相が広く分布し、多くの地域でNOHI-1およびNOHI-2を貫いており、それらと火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。ただし、県南東縁の上村(かみむら)川流域では領家帯構成岩類の天竜峡花崗岩の周辺において三都橋花崗岩と呼ばれている深部相が分布するが、ここでは区別せずに扱っている。斑状あるいは塊状の粗粒角閃石黒雲母トーナル岩~花崗岩からなる。この花崗岩は、古典的な「地向斜-造山運動」論において造山帯中核部の地下深部で形成された花崗岩体の典型例と考えられていたが、1960年代に地表に噴出・堆積した濃飛流紋岩を貫いていることが発見され、地表近くのきわめて浅所までマグマとして上昇してきたことになり、それまでの火成活動史の考えを根底から覆えし、塗り替えることとなった。
苗木花崗岩
中津川市苗木付近を中心に濃飛流紋岩の分布域の南部に広く分布し、中央部においても濃飛流紋岩の地下に広く伏在して分布する。濃飛流紋岩の少なくともNOHI-5までを貫き、NOHI-3、NOHI-4およびNOHI-5と火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。塊状で、一部斑状の細粒~粗粒黒雲母花崗岩および角閃石含有黒雲母花崗岩からなり、放射線で黒~暗灰色になった石英を多く含み、脈状ないし晶洞状のペグマタイトに富むことを特徴とする。
阿寺断層
阿寺断層系は、中津川市馬籠(まごめ)付近から北西へ向かって、同市坂下、付知町、加子母(かしも)を経て、下呂市萩原町の北方へ至る全長約70kmにも及ぶ日本でも第一級の活断層系である。ほかの大規模な活断層系と同様に、複数の断層が平行にあるいは枝分れして走っている。それらのうち、おおよそ中津川市と下呂市の境界にある舞台峠付近より南に分布する断層群を阿寺断層と呼び、それより北に分布する断層群にはそれぞれ別の名称がつけられている。大きくみると、阿寺断層系は、その北東側にある標高1500~1900mの山稜部を持つ比較的なだらかな阿寺山地とその南西側にある標高1000m前後の美濃高原との境界部にある断層帯で、両者はもともと一続きの地形であり、地形上の高度差700~800mがそのまま断層による縦ずれ移動量を示すが、それよりも10倍近くの大きさで左横ずれ移動量をもち、それは断層を境に河川の流路が8~10kmも隔てて屈曲していることに表れている。
屏風山断層
屏風山断層は、阿寺断層系の南東端にあたる中津川市馬籠(まごめ)付近から、それに直交する東北東~西南西方向に瑞浪市南西部にかけて全長約32kmにわたり延びる。断層の南側には屏風山(標高794m)を最高峰とする標高750mほどの屏風山山塊が続き、その北側の急斜面が断層崖に相当しており、この壁が大地に作られた巨大な屏風のように見えることからその名がある。屏風山山塊を隆起させる縦ずれ運動は、南側の山塊が北側へ乗り上げる逆断層として起こり、そのため断層は山塊側から崩れてくる堆積物の下に埋もれてしまい、断層自体は限られた地点でしか観察できない。観察できる場所では、断層面が水平面から約60°の傾斜角で南へ向かって傾いており、その上側にある基盤の伊奈川花崗岩が下側にある瀬戸層群の土岐砂礫層の上に乗り上げている。なお、横ずれ運動もしており、断層を横切る河川流路に折れ曲がりがみられる。
恵那火山灰流シート
濃飛流紋岩の岩体南縁部において、恵那山(標高2191m)から富士見台高原へ至る県境稜線部周辺のほか、恵那~岩村地域などに広範囲に分布する。濃飛流紋岩のNOHI-1の主体をなす火山灰流シートであり、形成時には東西約35km、南北約25kmの範囲に分布していたと推定され、最大層厚は1,000mを超える。恵那~岩村地域でコールドロンを形成しており、そこを給源の1つとして巨大なシートを形成した。大きくみると下部が流紋岩質(SiO₂=76%前後)の、上部が流紋デイサイト質(SiO₂=73%前後)の溶結凝灰岩からなり、それに合わせて斑晶量やその容量比が変化する傾向が認められる。ただし、コールドロン内部では上下位関係の変化としてはわからない。粗粒の結晶破片に富むことや多量の石質岩片を含むことなどの特徴をもつ。
飛騨トンネル
東海北陸自動車道の長大トンネルで、飛騨市河合町と白川村の境界にある籾糠山(もみぬかやま;標高1,744m)の下をほぼ直線的に貫き、道路トンネルとしては日本第3位、世界第12位の長さである。トンネルは河合町側から白川村側に向けて2%の下り勾配であり、断面積16㎡の先進坑(避難坑)と同130㎡の本坑からなる。地表までの最大土被りが1,000mを超えることもあり、長大トンネルにしばしばみられる換気立抗は設置されておらず、車道(本坑)下に換気坑が設けられている。トンネルの西半部をなす白川村側の区間はおもに庄川火山-深成複合岩体の中を、東半部をなす河合町側の区間はおもに飛騨帯構成岩類の中をそれぞれ貫いており、いずれの地域も地質が複雑で変化に富んでいる。長大トンネルを片側から施工するためにトンネル掘削機(TBM)が導入され、先進坑用TBM(愛称「天生(あもう)太郎」;掘削径4.5m)に続いて本坑用TBM(愛称「夢天生2000」;掘削径12.84m)がコンピューター制御によりローラーカッターで掘り進んだが、複雑な地質に加えて土圧と水圧に阻まれてしばしば機能停止となり、「天生太郎」は貫通まで残り310m地点で土圧によりつぶされて停止してしまった。2台のTBMとも最後は本体の側壁部分や外枠部分がトンネルの一部としてそのまま残されることになった。最大湧水量が毎分70トンになるなど当初の予想を超える難工事が続き、掘削開始から貫通まで9年半を要した。
地質年代