施設名 | 羽根谷巨石積み堰堤(第一堰堤) | はねだにきょせきづみえんてい |
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場所 | 海津市南濃町奥条(おくじょう) | |
形式 | 巨石積み堰堤 | |
規模 | 堤高約12m | |
設置者 | 内務省(当時) | |
完成年 | 1888(明21)年 | |
概要 | 養老山地はその東縁においてほぼ南北方向に延びる養老断層によって濃尾平野と境されており、その活動により平野側が沈降し、山地側が隆起し続けている。隆起し続けている養老山地はそれだけ削られ続けていることになり、削られた土砂は通常は穏やかな流れに乗って下流へ運ばれているが、数年、十数年に一度起こるような豪雨による洪水時には土石流をともなって山麓へ大量に急激に運び出される。それが山地の東麓で氾濫することで甚大な被害をもたらすとともに、般若谷扇状地など多くの扇状地を形成してきた。明治政府が近代土木技術導入のため招聘したオランダ人技師ヨハネス・デ・レーケは濃尾平野において木曽三川下流域の分流工事を手がけ、それに合わせて養老山地においては治山事業に力を注ぎ、その指導により建造された砂防堰堤の一つがこの巨石積み堰堤である。積み上げられた巨石の多くは周辺地域に分布する美濃帯堆積岩類の砂岩であり、近隣から得られる堅硬な素材を利用しており、巨石の大きさ(径1m前後)や規模(堤幅約52m)において当時としては最大規模の堰堤であり、国登録有形文化財に指定されている。この堰堤を中心として整備された「羽根谷だんだん公園」には土砂災害とそれに対する防災(砂防)を目的として開館したさぼう遊学館がある。 | |
ジオ点描 | 山地が隆起するとそれに応じて削られていく。隆起が激しければそれだけ削られる量も増えることになり、豪雨などによりそれらを運び出す水の力が増すと大量の土砂が山麓へ運び出される。それは山麓部に形成される扇状地の規模に表れるから、それを見れば流れ出てきた山地の運動状態が読み取れることになる。土砂搬出量と砂防堰堤は無縁ではなく、その築堤数にも表れる。 | |
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南濃町奥条の羽根谷にある巨石積第一堰堤 (撮影:鹿野勘次) |
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羽根谷巨石積第一堰堤の天端を作る巨石 (撮影:小井土由光) |