濃飛流紋岩
濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
溶結凝灰岩
火砕流によりもたらされた堆積物が溶結作用を受けると、その程度により強溶結、弱溶結、非溶結凝灰岩となり、一般には強溶結凝灰岩をさしていう。おもに火山灰が集まって形成された岩石ではあるが、強く圧密化した岩石となり、きわめて堅硬な岩石となる。
金山火山灰流シート
濃飛流紋岩のNOHI-3の最上部層をなし、岩体南西部においては飛騨川・白川流域から北方へ佐見川上流域、飛騨川流域~八尾山周辺地域、土京(どきょう)川上流域などに比較的まとまって分布し、岩体南東部においては長野県南木曽町柿其(かきぞれ)川流域から北西方へ下呂市小坂町若栃谷流域までの約 35 ㎞の範囲に帯状に分布する。層厚は最大で約500mである。斜長石の結晶片を多量に含む流紋デイサイト質の溶結凝灰岩からなり、角礫岩層や細粒凝灰岩層をともなう。斜長石のほかに苦鉄質鉱物(角閃石・黒雲母・輝石?)も多く含まれ、粗粒の石英結晶片(径4~5㎜)が散在し、径0.5㎜以下の細かい結晶片を多く含むことを特徴とする。一般に径3~4㎝の本質岩片が多く含まれ、その中に径2~3㎜の斜長石斑晶を多く含む。美濃帯堆積岩類に由来する石質岩片を普遍的に含む。分布域の北縁部で土京(どきょう)流紋デイサイト質貫入岩、南部の飛騨川流域で下油井(しもゆい)流紋デイサイト質貫入岩に貫かれ、そこで層厚が厚くなることから、両地域に給源があった可能性が大きいと考えられている。
赤河火山灰流シート
濃飛流紋岩においてNOHI-2の主体をなす火山灰流シートであり、濃飛流紋岩の岩体南部の白川町下赤河周辺地域から北方へ岩体南西部の黒川流域、白川流域、佐見川流域、飛騨川流域へと約20kmにわたり分布する。層厚は500m以上である。全体に径3~5mmの粗粒な結晶片を多量に含む流紋岩質の溶結凝灰岩からなる。粗粒の石英片を多く含むこと、苦鉄質鉱物が少なく、おもに黒雲母を含むこと、長径3~5cmの本質岩片を多量に含むことなどの特徴をもつ。白川町久室(くむろ)付近では、斜長石片が多く、アルカリ長石片が少ない流紋デイサイト質の組成を示す岩相がみられる。
阿寺層
濃飛流紋岩のNOHI-4の基底層をなし、岩体南西部においては阿寺断層系の断層に近い付知町西部に比較的広く分布し、そこから北西方へ向かって郡上市明宝(めいほう)の吉田川流域までとぎれながらも帯状に分布し、岩体の西縁部において濃飛流紋岩と美濃帯堆積岩類の両者をまたぐように分布する。岩体南東部の阿寺山地地域ではほぼ全域に帯状に約35kmにわたってほぼ連続的に分布する。最大層厚は阿寺断層付近で400~450mであるが、100m以下の地域が多く、北へ向かって薄くなり、尖滅する。結晶凝灰岩ないし凝灰質砂岩・礫岩、火山角礫岩、火山礫凝灰岩、細粒成層凝灰岩などさまざまな火山性砕屑岩からなり、砂岩や泥岩などの砕屑岩層もみられるが、水平方向にも上下方向にも著しく変化する。全体として火山性物質を起源とする水域堆積層であり、厚い溶結凝灰岩で特徴づけられる濃飛流紋岩の大規模な火山活動の中にあって、火山活動の休止期あるいはきわめて小規模な火山活動期を示す堆積層であり、しかも広域にわたり分布することから、火山層序を組み立てる上では重要な鍵層としての役割を担ってきた。
火道角れき岩
火山噴火における出口通路にあたる部分を火道といい、濃飛流紋岩のうちNOHI-4の初期(約7000万年前)に岩体の西部にあたる位置に噴出したきわめて局所的な火山活動における火道にあたるもので、正式には田島火道角礫岩という。藤倉峡をつくる七宗ダムの下流側に約1.3kmにわたり飛騨川河床に露出している。この角礫岩は,径1m以上の巨大なものから数cm以下の細かいものまでさまざまの大きさの礫が含まれており、比較的大きい礫のほとんどは濃飛流紋岩の溶結凝灰岩であり、小さい礫は美濃帯堆積岩類のチャートや砂岩などである。礫の間を埋める細粒物質は噴火時に噴き上げられた火山灰に相当し、火道周辺にあった岩石をいっしょに巻き込んだものが礫として含まれて火道を埋めている。
地質年代