地層名 伊奈川花崗岩【Gi】 いながわかこうがん
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代表地点 恵那市岩村町上切(かみきり)
形成時期 白亜紀後期(約8,200万年前)
概要    中部地方の領家帯を中心に美濃帯南部も含めてきわめて広い範囲に分布する巨大な花崗岩体であり、そのうち岐阜県内には濃飛流紋岩の南縁部においてそれとの接触部にあたる浅部相が広く分布し、多くの地域でNOHI-1およびNOHI-2を貫いており、それらと火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。ただし、県南東縁の上村(かみむら)川流域では領家帯構成岩類天竜峡花崗岩の周辺において三都橋(みつはし)花崗岩と呼ばれている深部相が分布するが、ここでは区別せずに扱っている。斑状あるいは塊状の粗粒角閃石黒雲母トーナル岩~花崗岩からなる。この花崗岩は、古典的な「地向斜-造山運動」論において造山帯中核部の地下深部で形成された花崗岩体の典型例と考えられていたが、1960年代に地表に噴出・堆積した濃飛流紋岩を貫いていることが発見され、地表近くのきわめて浅所までマグマとして上昇してきたことが明らかとなり、それまでの火成活動史の考えを根底から覆えし、塗り替えることとなった。
文献
  • 山田直利・赤羽久忠(2005)濃飛流紋岩を貫く花崗岩類.地団研専報,53号,89-97頁.
  • 山田直利・仲井 豊(1969)濃飛流紋岩と領家帯花崗岩との地質学的諸関係.地質学論集,4号,51-60頁.
  • 写真 恵那市山岡町小里川における伊奈川花崗岩
    (撮影:小井土由光)
    写真 恵那市岩村町上切における伊奈川花崗岩と濃飛流紋岩(恵那火山灰流シート)の接触部
    (撮影:田辺元祥)
    濃飛流紋岩
    濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
    領家帯構成岩類
    領家帯は美濃帯の南側に帯状に分布し、領家変成帯とも呼ばれる。美濃帯堆積岩類を形成した中生代ジュラ紀の付加体が白亜紀中頃(おおよそ1億年前ごろ)に花崗岩質マグマの大規模な上昇により地下深部の高温条件下で変成作用を受けて形成された変成岩類とそれをもたらした花崗岩類で構成される地質帯である。実際には、後続する濃飛期火成岩類の花崗岩類に広範囲にわたり貫かれているために、これらの構成岩類の分布は限られており、岐阜県地域においても南縁部の限られた地域にわずかに分布する。なお、「領家」という名称は天竜川支流の水窪(みさくぼ)川沿いにある地名「奥領家」(浜松市天竜区水窪町奥領家)に由来する。
    天竜峡花崗岩
    長野県南部の天竜峡付近に模式的に分布し、領家帯構成岩類としてもともとは領家帯に広く分布していたと考えられるが、後から濃飛期火成岩類の花崗岩類に広く貫かれてしまっているために分布は断片的になっている。岐阜県地域においてはその南東端部のかなり限られた範囲にだけ分布する。おもに粗粒・斑状の黒雲母花崗岩からなり、領家変成岩類の構造とほぼ平行に、石英・長石の多い白色の部分と黒雲母の多い黒色の部分が片麻状構造をつくる。


    地質年代