地層名 下油井流紋デイサイト質貫入岩【N3I】 しもゆいりゅうもんがんでいさいとしつかんにゅうがん
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代表地点 白川町上油井の佐見川・飛騨川の合流点付近
形成時期 白亜紀後期
概要    濃飛流紋岩の岩体南西部において白川町下油井の宇津尾(うとお)谷下流部から同町上油井の佐見川下流部付近ヘかけてほぼ南北方向に長さ約3㎞、幅約500mの規模で岩脈状に分布する。花崗閃緑斑岩Ⅰ・Ⅱにくらべて斑状組織があまり顕著でなく、比較的細粒の流紋デイサイト質貫入岩である。斑晶鉱物はいずれも径0.5~1㎝で、ほぼ自形を呈するが、半自形ないし一部破片状を呈するものも含まれ、基質部が隠微晶質組織を呈するが、一部に石英とカリ長石がやや粗く成長して微文象構造を形成している場合もあり、場所によりかなり変化する。このように破片状の斑晶を含んだり,基質部が不均質であったりして火砕岩としての特徴を示す場合が多く、地下のマグマ溜り内での発泡作用をともないながら固結した貫入岩であると考えられ、土京(どきょう)流紋デイサイト質貫入岩とともに金山火山灰流シートを噴出させたマグマ溜りの貫入相と考えられている。
文献
  • 山田直利・小井土由光・原山 智・棚瀬充史・鹿野勘次・田辺元祥・曽根原崇文(2005)濃飛流紋岩の火山層序.地団研専報,53号,29-69頁.
  • 写真 白川町上油井の佐見川・飛騨川の合流点付近に露出する下油井流紋デイサイト質貫入岩
    (撮影:小井土由光)
    写真 白川町上油井の佐見川・飛騨川合流点付近において流理構造を示す下油井流紋デイサイト質貫入岩
    (撮影:小井土由光)
    濃飛流紋岩
    濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
    花崗閃緑斑岩Ⅰ
    濃飛流紋岩の岩体南縁部だけにいくつかの不規則な外形を持つ径1~10㎞ほどの岩体として分布する。NOHI-1およびまれにNOHI-2を貫き、伊奈川花崗岩および苗木花崗岩に貫かれる。NOHI-1の噴出・定置に関連した恵那コールドロンの内部(殿畑岩体)あるいは北縁部(奈良井岩体)においては北東~南西方向に伸びた形をもって分布し、そこからはずれた地域では岩株状の岩体(高土幾山(たかときやま)岩体)として分布するほか、これらの周辺に小岩体が分布する。苦鉄質鉱物を比較的多く含む花崗閃緑岩質の岩石からなり、長径2~3㎝の大きな斜長石やカリ長石の斑晶を多く含み、全斑晶の容量比は40~60%である。石基は径0.5㎜以下の石英・斜長石・カリ長石・苦鉄質鉱物からなり、微花崗岩質組織あるいは微文象構造を呈する。細粒周縁相をほとんどともなわず、周囲の濃飛流紋岩に対しても熱変成作用を与えていない。
    花崗閃緑斑岩Ⅱ
    濃飛流紋岩の岩体南縁部を除くほぼ全域に径1~15㎞の不規則な外形を持つ岩株状の岩体として各地域に広く分布する。岐阜県内に分布する岩体としては、切井(きりい)・岩山・洞山・岩瀬・萩原・黒石谷・オコズリ谷・栃原谷・ソクボ谷・西洞・大沢山・清見(きよみ)の各岩体がある。これらの岩体と濃飛流紋岩との貫入関係はさまざまであるが、NOHI-5およびNOHI-6を貫く岩体はなく、NOHI-4の定置後、NOHI-5の定置以前に貫入したものと考えられている。岩相の特徴は、濃飛流紋岩のNOHI-1およびNOHI-2を貫く花崗閃緑斑岩Ⅰとほぼ同じであり、長径2~3㎝の斜長石やカリ長石の大きな斑晶をともなう花崗閃緑岩質の岩石からなり、微花崗岩質組織あるいは微文象構造の石基からなる。また、細粒周縁相をほとんどともなわず、周囲の濃飛流紋岩に対しても熱変成作用を与えていない。
    文象構造
    マグマの最終固結期に長石類と石英が同時に晶出することで、長石の結晶中にクサビ形文字状に石英が連晶してできる構造で、花崗岩質岩石に見られる。連晶が顕微鏡スケールで確認できるような場合は微文象構造という。
    土京流紋デイサイト質貫入岩
    濃飛流紋岩の岩体西部にあたる郡上市和良町上土京の土京川中流域から東方の岩屋ダム西岸地域までの東西約4km、南北約3kmの岩体およびその北西方の土京川上流域から郡上市明宝(めいほう)へかけての東西約3㎞,南北約4㎞の岩体からなり、それらの周辺にいくつかの小岩体が分布する。おもに多量の斜長石斑晶を含む明瞭な斑状組織を示す流紋デイサイト質貫入岩からなるが、大型の石英斑晶が目立つ岩相や破片状結晶を多く含んで溶結凝灰岩(とりわけ金山火山灰流シート)と区別が困難になる岩相など変化が著しい。斜長石は一部に自形面を残すが、ほとんどが破片状であり、石英も破片状か融食形をなす場合が多い。基質部は隠微晶質から細粒等粒状までいろいろな粒度を示し、かなり狭い範囲でも粒度の異なる部分が混在する。破片状の斑晶や不均質な基質部など火砕岩に類似した岩相を示すことで、地下のマグマ溜り内で発泡作用にともなう破砕作用も起っていた状態で固結してしまったと考えられ、下油井(しもゆい)流紋デイサイト質貫入岩と同様に、金山火山灰流シートを噴出させたマグマ溜りの残液が貫入したものと考えられている。
    金山火山灰流シート
    濃飛流紋岩のNOHI-3の最上部層をなし、岩体南西部においては飛騨川・白川流域から北方へ佐見川上流域、飛騨川流域~八尾山周辺地域、土京(どきょう)川上流域などに比較的まとまって分布し、岩体南東部においては長野県南木曽町柿其(かきぞれ)川流域から北西方へ下呂市小坂町若栃谷流域までの約 35 ㎞の範囲に帯状に分布する。層厚は最大で約500mである。斜長石の結晶片を多量に含む流紋デイサイト質の溶結凝灰岩からなり、角礫岩層や細粒凝灰岩層をともなう。斜長石のほかに苦鉄質鉱物(角閃石・黒雲母・輝石?)も多く含まれ、粗粒の石英結晶片(径4~5㎜)が散在し、径0.5㎜以下の細かい結晶片を多く含むことを特徴とする。一般に径3~4㎝の本質岩片が多く含まれ、その中に径2~3㎜の斜長石斑晶を多く含む。美濃帯堆積岩類に由来する石質岩片を普遍的に含む。分布域の北縁部で土京(どきょう)流紋デイサイト質貫入岩、南部の飛騨川流域で下油井(しもゆい)流紋デイサイト質貫入岩に貫かれ、そこで層厚が厚くなることから、両地域に給源があった可能性が大きいと考えられている。

    地質年代