対象物  金原横ずれ断層 きんばらよこずれだんそう
場 所 本巣市金原
 指定者 本巣市  指定年月日 1993(平5)年1月15日
概 要
   本巣市金原は北北西~南南東方向に長さ約2kmにわたり延びる谷の中にあり、この谷に沿って根尾谷断層が通っている。この金原の谷は根尾谷断層の左横ずれ運動が繰り返されることで形成され、その累積移動量が約2kmに達した時点で上流側で水が根尾川本流に奪われてしまい涸れ谷となった。そうした中で1891(明24)年に濃尾地震をもたらした左横ずれ運動が起こり、約500mにわたり田の畦道の食違い(3.5~4.5m)を形成した。このずれた畦道は1984(昭54)年ころに大規模な圃場整備事業がなされたことで直線化されて消滅してしまったが、南端部の農道沿いだけに横ずれ屈曲が残され、それが指定されている。
本巣市金原における根尾谷地震断層の横ずれを示す道路の屈曲
(撮影:小井土由光)
ジオ点描
   根尾谷断層は各所に変位をもたらして濃尾地震を起こした。現在も確認できるその変位は地震を起こした原因となる“地震の化石”として貴重であり、いずれも天然記念物級といえるほどのものであり、すべてきちんと保存されてもおかしくないものである。しかし現実はそのようにはなっておらず、人間の社会活動にかき消され、その保存のむずかしさを物語っている。
 
文 献 村松郁栄・松田時彦・岡田篤正(2002)濃尾地震と根尾谷断層帯-内陸最大地震と断層の諸性質-.古今書院,340頁.  
根尾谷断層
根尾谷断層は、全長約80kmにわたり複数の活断層群からなる根尾谷断層系のうち、岐阜・福井県境にある能郷(のうご)白山(標高1617m)付近からほぼ根尾川沿いに南下し、岐阜市北端部に至る約35kmの長さをもつ活断層である。全体として左横ずれ変位が卓越し、北東側が沈下する縦ずれ変位をともなう運動を起こしている。根尾谷断層系のほぼ中央において比較的活発に動いてきた断層であることもあり、しばしば「根尾谷断層系」とまったく同義に使われて混乱を招いており、厳密には明確に区別して扱う必要がある。1891(明24)年にとりあえず最後の活動を起こして濃尾地震をもたらし、その際に形成された地表の変位を「根尾谷地震断層」と呼び、その代表例が国の特別天然記念物に指定されている通称「水鳥(みどり)の断層崖」である。これも単に“根尾谷断層”と呼ばれることが多く、日本地質学会もここを“根尾谷断層”として「日本の地質百選」に選定している。
金原の谷
本巣市金原の谷は、北北西~南南東方向に約2kmにわたり直線状に延び、ここを根尾谷断層が通る。この谷の北端にあって北東側から根尾川本流へ流れ込んでいる金原谷と素振(すぶり)谷は、もともとは金原の谷の南端で西方へ流れ出ている鍋原(なべら)谷と一本の谷を形成していた。その流路が根尾谷断層の左横ずれ運動によりずれていき、それが累積されて約2kmのずれを生じた時点で、上流側が現在のように根尾川へ直接流れ込んでしまい、金原の谷には河川が流れなくなった。ここでは1891(明24)年に濃尾地震を起こして動いた際に平均4.3mの左横ずれを生じており、それは「金原横ずれ断層」として本巣市の天然記念物に指定されている。大地震を起こす1回の断層運動で仮に4mの横ずれを生じるとすると、2kmずれるのに500回の大地震を起こしてずれたことになる。トレンチ調査によれば、ここでは平均すると1,000年あたり約2mの左ずれを起こしてきたことになり、その累積が2kmになるまでに約100万年かかることになる。
濃尾地震
濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、活断層型(直下型)地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。


地質年代