宮峠断層
宮峠断層は、旧国道361号(木曽街道)が通る美女峠付近から飛騨一之宮盆地の南縁まで8km以上にわたり延びており、その累積移動量は垂直方向に約200m、水平方向に最大300mとされている。宮峠断層は北側の江名子(えなご)断層とともに両者に挟まれる大西山地(位山分水嶺)を隆起させたことで、それまで北流して日本海に向かって流れていた飛騨川上流部は南流して太平洋へ向かって流れるようになった。久々野町大西と高山市江名子町を結ぶ「県営ふるさと農道」(現国道361号)の敷設工事の際に宮峠断層の破砕帯がみごとに露出し、そこでは断層を境にして北側の大西山地を構成する美濃帯堆積岩類が南側にある若い時代の堆積物(久々野凝灰角礫岩層)にせり上がっている様子がみられた。ただし、この現場は被覆されてしまっている。
濃飛流紋岩
濃飛流紋岩は、岐阜県の南東端にあたる恵那山(標高2191m)付近から北部の飛騨市古川町付近へかけて、幅約35km、延長約100kmにわたり北西~南東方向にのび、岐阜県の約1/4の面積を占める巨大な岩体である。この岩体を構成する岩石のほとんどは、火砕流として流れ出た火山砕屑物がたまって形成された火砕流堆積物からなり、しかもその大部分は堅硬に固結した溶結凝灰岩になっており、厚さ数百mで、水平方向へ20~60kmの広がりをもち、岩相・岩質が類似した火山灰流シートとして何枚にもわたって重なりあっている。それらは大きく6つの活動期(NOHI-1~NOHI-6)に区分されており、岐阜県内にはNOHI-6だけが分布しない。これらの火山岩類には花崗岩類が密接にともなわれ、それらを含めて大きく2期(第1期火成岩類・第2期火成岩類)に分けられる火山-深成複合岩体を形成している。第1期の活動は白亜紀後期の約8,500万~8,000万年前にあり、NOHI-1とNOHI-2の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。第2期の活動は約7,500万~6,800万年前にあり、NOHI-3~NOHI-5(おそらくNOHI-6)の活動と引き続く花崗岩類の活動があった。これらは活動の場所を南部から北部へと移しながら巨大な火山岩体を作り上げた。
地質年代