濃尾傾動運動
濃尾平野の西端において北北西~南南東方向に走る養老断層を境に、西側の養老山地側が上昇し、東側の濃尾平野側が沈降しており、平野部だけをとりだすと西側ほど沈降し、東側の三河高原側が上昇することで全体が西へ傾く運動となる。この運動は数百万年前から始まり,平均して0.5mm/年ほどの速度で平野部が沈降しており、現在も続いている。常に連続して沈み続けているわけではないから日常の生活ではまったくわからないが,平野の中を流れる木曽三川 (木曽川・長良川・揖斐川) が河口に近づくにつれて養老山地側へ偏っていくのはこのためである。
養老断層
濃尾平野から西方を望むと、養老山地が南北方向に延び、その東側斜面が壁のように立ちはだかり、ほぼ直線的な境界で濃尾平野と接している。その境界に沿って約40kmにわたり養老断層が延びている。養老山地から濃尾平野を経て東方の猿投(さなげ)山地に至る地形上の単位は「濃尾傾動地塊」と呼ばれ、東側が緩やかに上昇し、濃尾平野が沈降していく濃尾傾動運動で作られたものである。沈降していく濃尾平野と上昇していく養老山地との間に養老断層があり、その上下移動量は数百万年前から現在までに2,000m以上に達していると考えられている。沈降していく濃尾平野には木曽三川が運び込んだ大量の土砂が堆積しているから、その2/3ほどは埋められており、実際の養老山地東側の斜面では1/3ほどだけが断層崖として顔をのぞかせていることになる。
第四紀火山
火山活動は地球の創生以来、延々と続いているが、「火山」という用語は地形を表わす用語であり、古い時代の火山活動で形成された地質体には火山体に相当するものが残っていないために使えない。一般には、第四紀の火山活動で形成されたものであれば火山体がほぼ残されていることから火山として扱っており、日本火山学会では削剥されてしまっていてもおおよそ260万年前までに形成されたものであれば「第四紀火山」としてそれらに名称をつけている。岐阜県内にも多くの第四紀火山が分布しているが、それらの形成時期や活動期間にはかなりの差異があり、火山体ごとに研究の経緯や精度に差異もあるため、それらをすべてを統一した基準で括ることはできない。多くは複数の火山体をまとめた火山列・火山群あるいはそれに相当する単位で整理されるが、関係する噴出物や貫入岩類を一連の火成活動の産物として扱える火山や噴出物とその給源火道構成物だけが残されている火山もある。
東海層群
新第三紀の中新世後期から第四紀の更新世前期にかけての時期に伊勢湾や濃尾平野の周囲に「東海湖」と呼ばれる湖が形成され、そこに堆積した礫・砂・粘土などが重なる地層群を総称して東海層群と呼ぶ。東海湖は、知多半島南部付近で発生し、次第に北東(瀬戸・多治見方面)や南西(鈴鹿山脈東麓方面)へ拡大していき、最後は岐阜県の上石津(かみいしづ)地域で消滅したと考えられている。それらのうち、濃尾平野の地下から名古屋市東部や岐阜県東濃地域へかけて分布する地層群は瀬戸層群と呼ばれ、三重・滋賀県境の鈴鹿山脈東麓などの伊勢湾の西側の丘陵地に分布する地層群は奄芸(あげ)層群と呼ばれる。
地質年代

第四紀堆積層

   第四紀という地質時代は地球史における現代にあたり、2009(平21)年の国際地質科学連合において258万8000年前から現在までの期間と再定義されている。すなわち、第四紀堆積層は約260万年前以降に形成された堆積物のすべてを指すことになり、これらの中には第四紀火山あるいは東海層群の項目で扱うものも含まれるが、ここではそれらを除いたものを扱う。岐阜県内においてそれらが比較的まとまって分布する地域は濃尾平野地域と高山盆地周辺地域であり、それら以外の地域ではおもに現在の河川沿いに分布し、河岸段丘堆積層や扇状地・崖錐堆積層などとして分布しており、堆積物としてはきわめて薄く、未固結の地層を形成しており、それらのほとんどには地層名が付いていない。
 濃尾平野地域は、山間部の多い岐阜県内にあって第四紀堆積層が例外的に広く分布する地域であり、ここでは鮮新世末期(約300万年前ごろ)から始まった濃尾傾動運動によって、平野の西端にある養老断層を境にして西へ傾きながら沈降しており、そこへ木曽川・長良川・揖斐川などの河川により運び込まれた多量の土砂が西側ほど厚く堆積し、それらを覆って表層には完新世に堆積した沖積層(現河床堆積層および後背湿地堆積層、自然堤防堆積層など)が広く分布している。高山盆地周辺では盆地周縁部での断層運動にかかわる堆積物と河川により運ばれた堆積物、さらには火山活動にかかわる堆積物が錯綜して分布している。