新期御嶽火山
御嶽火山において古期御嶽火山の活動終了後に約30万年にわたる長い静穏期を経て始まった活動で、現在の御嶽火山の中央部を構成する火山体を形成した。それらは活動の前半に形成された継母岳火山群と後半に形成された摩利支天火山群に分けられ、両者はほぼ連続的に起こったようであるが、噴出物の性質は明瞭に異なる。これらの活動では新期御嶽テフラ層と呼ばれる大量の降下火砕堆積物を噴出しており、有効な指標となる広域テフラとして中部・関東地方に広く火山灰層を飛ばしており、隣接する乗鞍火山がおもに溶岩を流出させていることと対照的な活動をしている。なお、その活動経過については、山麓部での降下火砕堆積物の層序解析などから異なる見解も出されている。
継母岳火山群
新期御嶽火山の前半に活動した火山群で、莫大な量の流紋岩質軽石の噴出で始まり、それにともない古期御嶽火山の山体中央部が陥没してカルデラが形成され、そこを埋めるように標高2900mほど、推定体積約50km³の山体が形成された。それらはおもに流紋岩質~デイサイト質の厚い溶岩や火砕流堆積物などで構成されており、現在は継母岳(標高2867m)からその西方へ連なる県境尾根周辺に残されている。この時期に噴出した火砕物が大量に木曽川流域に供給されて形成された堆積物が木曽谷層であり、大量の軽石が含まれる砂層として中~下流域で容易に識別されている。
岩屑なだれ
水蒸気や空気などの気体と岩塊など固体破片の混合物が大規模に(体積で106m³以上 )高速で(速いもので150m/秒)斜面を流れ下る現象で、火山現象としてもみられるが、地震動で山体が崩壊して起こることもある。火砕流に似た現象であるが、火砕流はマグマ起源の物質を主体とする高温の流れであるのに対して、これは既存の物質からなる低温の流れである。気体が水に代わると泥流あるいは土石流となり、岩屑なだれが途中から河川の水を取り込んで泥流・土石流になることはよくある。
泥流
礫、砂、泥などの砕屑物が水と混ざって流れ下る場合に、泥質分を多く含み、粗粒の礫質分の少ない流れを指す。礫質分が多いと土石流と呼ぶことがあるが、明確な境界があるわけではない。火山砕屑物が関与すると火山泥流と呼び、その場合には必ずしも泥質分が卓越しているとは限らず、土石流に近い状態もある。インドネシアの火山体周辺で頻発することでラハーという用語が同義語として使われることがある。水ではなく気体(空気)と混ざった流れの場合には岩屑なだれという。
坂下の河岸段丘
木曽川の上・中流域には、谷幅が狭いこともあり河岸段丘はあまり残されていないが、中津川市坂下には例外的に大きく4段にわたる段丘面が広がっている。それらは高い方から、松源地(しょうげんち)面、高部(たかべ)面、坂下面、西方寺(さいほうじ)面と呼ばれ、この順序で形成時期が若くなっている。これらのうち松源地面を作る堆積物は木曽谷層であり、高部面には木曽谷泥流堆積物が載り、坂下面は木曽谷層を削って形成された段丘面である。これらの堆積物の中に含まれる御嶽火山の噴出物などから、それぞれの段丘面が形成された時期がわかる。これらの段丘面を北西~南東方向に横切って阿寺断層が通っており、それによりすべての段丘面がずらされ、段丘面、段丘崖、断層崖が交錯することで、みかけ上は複雑な地形分布をなしている。段丘面の形成時期がわかるから、それをずらしていった阿寺断層の活動の過程も解析され、ここは日本で最初に活断層の正確な運動像が確認された場所となっている。
中位段丘堆積層
河岸段丘は一般に大きく3段に区分され、その中間の高さにある段丘面をまとめて中位段丘と呼ぶことが多い。そのため、現河床面からの比高や段数などは河川によって異なる。また、どこの河川にも普遍的に分布するわけではなく、実際には谷幅が比較的広い場所で削剥から免れて分布している。基本的には上流から運んできた礫あるいは砂で構成されているが、上流部での火山活動との関連で火山噴出物あるいは泥流堆積物で構成されている場合もあり、とりわけ木曽川沿いでは御嶽火山の活動に関係した木曽谷層が主要な構成層となっている。
地質年代