江名子礫層
高山市山口町付近を中心に、大西山地北麓の江名子断層に沿う幅約2kmの範囲に分布する。層厚は約20mである。ほとんどが大西山地を構成する美濃帯堆積岩類の礫からなり、丹生川火砕流堆積物の礫がわずかに含まれる。径10~20cmの角礫からなり、淘汰が悪く、風化してやや軟らかくなった礫が多い。江名子断層の運動にともなって大西山地が急激に上昇隆起したことで供給された崖錐性堆積物である。
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
江名子断層
江名子断層は高山盆地の南側を画する大西山地の北側山麓を高山市塩屋町東部から南西へ向かい、江名子町を通って飛騨一之宮へと約13kmにわたり延び、大西山地の南西へ向かって宮川断層から大原(おっぱら)断層へと続き、これらをまとめて「江名子・大原断層帯」と呼ぶこともある。大西山地の南側山麓には宮峠断層が江名子断層とほぼ平行に走り、この2つの断層に挟まれた地域が断層運動で隆起して一般に「位山(くらいやま)分水嶺」と呼ばれる分水嶺山地が誕生した。それが誕生する以前の約200万年前に形成された松原礫層は分水嶺山地の上にもその両側にも分布し、その中には分水嶺より南側に広く分布する濃飛流紋岩の礫を多量に含んでおり、現在の飛騨川最上流部は宮川を経て日本海へ流れていたことになる。高山盆地側から眺める大西山地の北側斜面は江名子断層の断層崖になり、そこには主断層や数本の派生断層により最大で150mにも達する幅広い破砕帯が形成されており、これに沿って谷・尾根の右横ずれ屈曲が顕著に見られ、その変位量は最大で500mに達する。縦ずれ変位量は、断層をはさんで両側に分布する松原礫層や丹生川火砕流堆積物の分布高度の差から300m以上である。
上宝火砕流堆積物
高原川・宮川流域の500km²にもおよぶ広範囲にわたり分布し、上宝火山の活動において、先行する福地凝灰角礫岩層の形成に引き続いて貝塩給源火道から40km³以上の噴出量でもたらされた流紋岩質の火砕流堆積物である。八本原などに典型的な火砕流台地を形成している。堆積物は1回の冷却単位で形成された溶結凝灰岩からなり、最大層厚が200m以上で、東部では最下部に約30mの厚さで非溶結部をともなう。
地質年代