項目 優黒色泥岩 ゆうこくしょくでいがん
関連項目 凡例解説>美濃帯堆積岩類>珪質粘土岩および優黒色泥岩 
地点 岐阜市 金華山ドライブウェー
見学地点の位置・概要    岐阜市の金華山は、その山頂から南西へ向かって尾根が延びる山体を作っており、その尾根に沿って登山道がある。登山道が尾根から両側の山麓へ向って下りはじめる位置に東側から金華山ドライブウェーが近づいており、東側の山麓へ下りる登山道を横切っている。その位置に『金華山の地質 南半球海底の岩石層』という表題をもつ案内看板が立っており、そこから山頂尾根に通じる登山道へ向けて切通しになっており、そこに優黒色泥岩が露出している。
見学地点の解説    ここには砕屑粒子をほとんど含まない黒色の珪質泥岩が葉片状にかなり破砕された状態で露出している。こうした岩石は粘土鉱物だけからなるきわめて細粒の珪質粘土岩の中に挟まれて分布しており、ともに美濃帯堆積岩類を構成する岩石の中でチャートと同じように深海底という環境に堆積した岩石である。これらの岩石は、周辺に分布するチャートなどから産出する放散虫化石やコノドント化石により、中生代三畳紀の初頭に形成されたことが明らかにされている。
ジオの視点    珪質粘土岩は三畳紀の層状チャートの基底部にあり、炭素含有量がきわめて高く、三畳紀初頭における海洋の嫌気的な環境を表わす岩石である。古生代ペルム紀と中生代三畳紀の境界(PT境界)にあたる時期に海洋環境での酸欠状態が海洋生物の大量絶滅をもたらし、生物界における大変革をもたらしたイベントを示す岩石とされている。近畿地方の丹波帯(美濃帯に相当)で『砥石型頁岩』とされるものと同じで、細粒岩石であることを利用して砥石として活用されていた。
写真 金華山の登山道沿いに露出している優黒色泥岩
(撮影:小井土由光)
写真 優黒色泥岩の近接写真
(撮影:小井土由光)
金華山
岐阜市のランドマーク的な存在となっている山(標高329m)であり、初夏になると山体全体にツブラジイの花が咲くことで金色に輝くことから山名がついたとされており、かつては「稲葉山」と呼ばれた。ほぼ全山が美濃帯堆積岩類のチャートで構成されており、石英と同じ成分からなることで、かなり硬い岩石であるために浸食に対する抵抗力が強く、相対的に高い尾根を作りやすい。それが長良川などにより周囲を削られたことで孤立するように平地部からそそり立つようにそびえる山となった。このチャートは含まれる放散虫化石から古生代ペルム紀後期~中生代三畳紀中期(約2億6000万~2億3000万年前) にできたことが分かっている。
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
放散虫
海生の動物プランクトンとして先カンブリア時代から現在に至るまで生息している単細胞生物で、珪酸成分からなる0.1~0.2mmほどの大きさの骨格を持ち、そのため微化石として残されていることが多い。生息した時代により骨格の形態が異なり、その変化が速いために重要な示準化石となる。多くのチャートは放散虫骨格の堆積によって形成されており、それをフッ酸(HF)で腐蝕させた不溶残渣から実体顕微鏡下で放散虫を取り出し、走査型電子顕微鏡を用いて骨格の形態や微細な構造を観察する技術が1980年代になってから確立し、それにより美濃帯堆積岩類では薄いチャート層の単位で形成時代がなされ、それまでおもにフズリナ化石などで決められていた時代とは比べものにならない精度で時代決定がなされるようになった。こうした状況を「放散虫革命」という。
PT境界
古生代の最後にあたるペルム紀(Permian)と中生代の最初にあたる三畳紀(Triassic)の境界(約2億5,200万年前)であり、この境界において地球規模で生物の大量絶滅が起きたことで注目されている。大量絶滅は、約1000万年にもわたって海洋酸素が大規模に欠乏したことで起こったと考えられており、多岐にわたる海棲生物種の約95%が絶滅したとされている。2010年に舟伏山北部地域の林道沿いで、美濃帯堆積岩類のペルム紀後期のチャート層の上に重なる粘土岩層がPT境界を示す地層とされる論文が公表された。ちなみに日本ラインに分布するチャート層は酸素欠乏時期が終わり、酸素が徐々に回復していく時期に堆積したものとされている。

地質年代