項目 一夜城跡 いちやじょうあと
関連項目
地点 大垣市墨俣町墨俣 一夜城跡付近
見学地点の位置・概要    JR東海道線の長良川鉄橋より下流では、天王川の人工河川(江下げ)が長良川右岸(西岸)堤防道路(県道163号墨俣合渡岐阜線)の西側にほぼ並走して流れている。旧中山道にあたる県道31号岐阜垂井線が通る長良大橋の手前付近では堤防道路と江下げが接近して流れており、その脇に4層の城がある。これが一夜城跡地に建てられた墨俣一夜城歴史資料館である。その南側にある太閤出世橋付近あるいは周辺の堤防上からこの付近の立地環境が眺められる。
見学地点の解説    一夜城跡地は、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が織田信長の命をうけて、美濃攻略の足掛かりとして一夜にして城を築いたと伝えられる場所である。ここは長良川と並走してきた天王川の江下げに、中川・五六(ごろく)川・犀川などの中小河川が合流する場所であり、一夜城跡地にとって堀のような景観をつくっている。合流した後の江下げはここよりさらに下流へ安八町の新幹線鉄橋付近までの約5.5㎞にわたり設けられており、中小河川の排水能力を高める工夫がみられる。犀川のすぐ南側を長良川堤防の方向と直角に東西方向にのびる堤防は桜堤と呼ばれ、墨俣輪中の北側を守る輪中堤である。1976(昭51)年9月の水害では、長良川堤防の決壊まではこの桜堤より北側一帯でかなり広域に起こっていた氾濫を止めていた。
ジオの視点    一夜城の築城があった当時の木曽川は、現在の境川を本流として長良川と合流しており、その合流点がここよりわずかに下流の地点であった。当時においてこの地点が美濃国と尾張国の重要な接点であり、軍政上の拠点であったことになる。同時に、木曽川上流から水運を利用して豊富な森林資源を運び込める立地条件を備えていた場所ということになる。一夜城は実際には丸太小屋程度の建物であったとされているが、容易に築城が可能な場所であった。
写真 一夜城跡周辺の景観(右手から天王川江下げが、左手から犀川が流れ込んでいる)
(撮影:小井土由光)
写真 犀川南岸に沿って延びる輪中堤「桜堤」
(撮影:小井土由光)





地質年代