項目 安八破堤現場跡 あんぱちはていげんばあと
関連項目 事項解説>主な災害>洪水災害>9.12豪雨災害
地点 安八郡安八町大森
見学地点の位置・概要    長良川右岸(西岸)堤防道路は、大垣市墨俣町の長良大橋から下流では県道163号墨俣合渡岐阜線から県道23号北方(きたがた)多度(たど)線になる。それを南下し、東海道新幹線の下をくぐって堤防上に上がると、右手の堤防下に高圧線の鉄塔がある。そのすぐ下流側に堤防からの下り坂があり、その付近から公営斎苑までの間が1976(昭51)年の破堤現場である。
見学地点の解説    1976(昭51)年9月12日、それまで長良川流域を中心に4日間降り続いた豪雨が弱まり、堤防の上端近くまで増水していた長良川の水位が減りはじめたとき、この場所で幅約80mにわたり堤防が決壊した。現在ではここには当時の状況を示すものはまったくなく、斎苑の隣に破堤箇所を示す石碑があるだけである。その前にある堤防も草に覆われた法面が直線状に延びている。これに対して川側の法面の下半分はコンクリートで被覆されている。この被覆工事は、破堤後にこの付近に限らずかなり広範囲にわたり堤防の川側に施されたものである。これは、この堤防が周囲にあった川砂を積み上げただけのものであったことで、長時間にわたり高水位の状態で浸かった砂山状の堤防が容易に崩れて破堤したことを受けての措置であった。
ジオの視点    この付近では、古くから自然堤防の高まりを利用して周囲の水田よりも一段高くなった場所に集落が設けられており、少しでも浸水を免れる場所に生活の場を求めた様子がうかがえる。ところが1976年の破堤時には、大量の水が押し寄せたことで、それらの差異を越えてほぼ全域にわたり冠水した。これまでは本川の堤防だけではなく、それよりも小さな規模で輪中堤を築いて役割を分散させながら居住地を守ってきたが、その輪中堤を撤廃して本川の堤防だけにしたことで逆に大きな被害がもたらされるようになったとされている。
写真 安八町の破堤現場跡(堤内側)
(撮影:小井土由光)
写真 下半分がコンクリートで被覆されている破堤現場跡の堤外側
(撮影:小井土由光)





地質年代