項目 十連防堤 じゅうれんぼうてい
関連項目
地点 安八郡輪之内町楡俣
見学地点の位置・概要    長良川右岸(西岸)堤防道路(県道23号北方(きたがた)多度(たど)線)を南進して名神高速道路の下をくぐり、再び堤防上に上がった地点において、長良川の堤防道路と直角の方向に西方へ向かって高さのやや低い堤防が延びている。これが十連防堤である。
見学地点の解説    十連防堤は輪之内町のほぼ北限にあたる位置にある輪中堤である。1976年9月12日の長良川堤防決壊時に安八町内へ流れ込んだ濁流は、北方へも南方へも広がって流れた。地形的に低い南方へはかなり勢いよく流れ込み、名神高速道路の下の通路を使ってさらに南へ流れた。しかし、この輪中堤で止められたことで輪之内町へは流れ込まず、水害を免れた。その当時、この輪中堤を境に北側が濁流による濁黄色、南側が稲穂による黄金色という明確なコントラストを映し出した写真を用いて、この輪中堤が“生きた輪中堤”といわれて報道された。
ジオの視点    輪之内町は文字どおり輪中の町であり、輪中とは輪中堤に囲まれた水防共同体のことである。輪中堤は河川がもたらした自然堤防の高まりを巧みに利用して作られ、それにより命を守るという生活者の知恵から生まれたものであり、そうした工夫をせざるを得なかった背景があった。それは、最大の河川である木曽川においてその右岸側(美濃国側)に堤防を作らせなかった徳川家康の治水策「御囲堤(おかこいづつみ)」があり、それに対する自衛策として急速に広まったものである。実際に木曽川の左岸側(尾張国側)には、最下流部を除いて輪中はほとんど存在しない。
写真 手前の長良川堤防に対して直角の方向に延びる十連防堤
(撮影:小井土由光)





地質年代