項目 養老の滝 ようろうのたき
関連項目 事項解説>景勝地・景観>峡谷・瀑布>養老の滝
地点 養老郡養老町 養老公園
見学地点の位置・概要    養老山地北部の東麓に沿って県道56号南濃関ヶ原線が延び、その途中に養老公園がある。大垣と桑名を結ぶ国道258号からは、県道213号養老平田線で養老山地へ向かって西へ進むと県道56号線に合流する。いずれの道路にも養老公園への案内指示がある。養老公園から上流に向かって1kmほど上ると養老の滝がある。なお、案内表示にしたがって車で滝に近い駐車場(有料)まで行くこともできる。
見学地点の解説    養老の滝は、滝の水がお酒になったという親孝行伝説「養老孝子伝説」の故事があることで知られ、落差約32m、幅約4mの滝である。滝壷の脇にある広場に立っている石碑には『・・・四周の岩質は石英斑岩なれば 為めに滝壷浅く万人の浴瀑に適し・・・』とある。通常では滝のそばに近づけないこともあり、滝を構成している岩石の判別はできないが、滝より下流に落ちている河床礫に石英斑岩あるいは火成岩類に相当するものは見られず、滝の周辺に分布している岩石は美濃帯堆積岩類の細粒砂岩あるいは泥岩、チャートである。滝が落ちている部分の岩石が示している割れ目の状況から判断すると層状チャートあるいは細粒砂岩と思われ、この滝を作っている岩盤に特別な地質学的な特徴はなさそうである。
ジオの視点    養老断層は、その東側で濃尾平野を沈降させて濃尾傾動運動を起こしているいっぽうで、西側では美濃帯堆積岩類からなる養老山地を急激に上昇させている。隆起していった養老山地はその東側に急斜面を形成し、そこを深く下刻した谷の途中に大小の滝を形成しており、その一つが養老の滝である。ただし、養老断層は、深く下刻した谷が大量の土砂を濃尾平野へ向けて流出させて形成した扇状地に覆い隠されるような位置に走っており、山地内部へかなり入った地点にあるこの滝の形成には直接関与していない。
写真 養老の滝
(撮影:小井土由光)
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
養老断層
濃尾平野から西方を望むと、養老山地が南北方向に延び、その東側斜面が壁のように立ちはだかり、ほぼ直線的な境界で濃尾平野と接している。その境界に沿って約40kmにわたり養老断層が延びている。養老山地から濃尾平野を経て東方の猿投(さなげ)山地に至る地形上の単位は「濃尾傾動地塊」と呼ばれ、東側が緩やかに上昇し、濃尾平野が沈降していく濃尾傾動運動で作られたものである。沈降していく濃尾平野と上昇していく養老山地との間に養老断層があり、その上下移動量は数百万年前から現在までに2,000m以上に達していると考えられている。沈降していく濃尾平野には木曽三川が運び込んだ大量の土砂が堆積しているから、その2/3ほどは埋められており、実際の養老山地東側の斜面では1/3ほどだけが断層崖として顔をのぞかせていることになる。
濃尾傾動運動
濃尾平野の西端において北北西~南南東方向に走る養老断層を境に、西側の養老山地側が上昇し、東側の濃尾平野側が沈降しており、平野部だけをとりだすと西側ほど沈降し、東側の三河高原側が上昇することで全体が西へ傾く運動となる。この運動は数百万年前から始まり,平均して0.5mm/年ほどの速度で平野部が沈降しており、現在も続いている。常に連続して沈み続けているわけではないから日常の生活ではまったくわからないが,平野の中を流れる木曽三川(木曽川・長良川・揖斐川) が河口に近づくにつれて養老山地側へ偏っていくのはこのためである。


地質年代