項目 関ヶ原鍾乳洞 せきがはらしょうにゅうどう
関連項目
地点 不破郡関ケ原町大字玉
見学地点の位置・概要    国道21号の関ヶ原バイパスが国道365号に合流する伊吹山口交差点のすぐ西隣に玉(たま)交差点がある。そこから県道229号牧田(まきだ)関ヶ原線が始まり、その付近から関ヶ原鍾乳洞の案内指示があり、それに従って県道229号線を西進すると鍾乳洞前まで行ける。なお、関ヶ原町地域は旧春日村地域の南隣に位置し、岩手峠を経て県道257号川合垂井線で結ばれていることになっているが、実際には通行できない。そのため両地域との行き来は池田町地域を経ていかなければならない。
見学地点の解説    この鍾乳洞は全長500mほどと短く、入口と出口がほぼ同じ高さにあり、経路もほぼ平面であり、一層だけからなる規模の小さい鍾乳洞である。また、洞内の鍾乳石・石筍も小さく、洞穴が形成され始めてからそれほどの時間が経過していない若い鍾乳洞である。これは、地下水による浸食が十分に進んでおらず、洞穴の径が小さく、頭をぶつけるほど天井の低い部分が多いことにも表れている。
ジオの視点    関ヶ原鍾乳洞は、滋賀県境にある岩倉山(標高338m)の周辺に分布する美濃帯堆積岩類のチャート岩体中にある石灰岩ブロックに形成された鍾乳洞である。似たような地質環境で形成されている郡上地域の鍾乳洞と比べると、隆起地域でないことから明らかに規模も小さく、洞穴もここだけに限られる。これは、洞穴の形態を決める大きな要因となる割れ目系の存在も影響するであろうが、平地に近く、山体が小さいために地下水の量も限られるために大きな規模になれず、形成期間も短く、未発達の鍾乳洞となっていると理解される。
写真 関ケ原鍾乳洞の入口(右)と出口(左)
(撮影:小井土由光)
写真 関ケ原鍾乳洞で見られる鍾乳石
(撮影:小井土由光)
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。




地質年代