項目 御嶽火山 おんたけかざん
関連項目 凡例解説>第四紀火山>御嶽火山>新期御嶽火山
地点 高山市朝日町 鈴蘭高原
見学地点の位置・概要    県道435号御岳山朝日線の通る秋神川沿いの高山市朝日町宮之前から下呂市小坂町との境界にある鈴蘭峠へ向かって鈴蘭スカイラインが延びている。この道は鈴蘭高原のなだらかな地形を利用して開発されたゴルフ場や別荘地の中を通っており、ゴルフ場入口を過ぎて300mほどで別荘地入口があり、そこに大きな石碑「鈴蘭高原」とパネルが設置されている。そこから御嶽火山の全体が望めるが、天候により展望の状況が悪い場合にはパネルにある展望写真を参考にするとよい。
見学地点の解説    御嶽火山はおおよそ南北に連なる峰からなる複成火山であり、大きく古期御嶽火山群新期御嶽火山群に分けられる。前者は40万年ほど前までに活動を終了し、そのほとんどは新期御嶽火山群に覆われ、現在の山体周辺の裾野に顔をのぞかせる程度にみられるだけであるが、見えている峰のうち最も右手に見える上俵山(かみだわらやま;標高2,077m)がその残骸として頂きを作っている。後者は約9万年前以降に活動し、上俵山の左隣にある継母岳(標高2,867m)がその前半にあたる継母岳火山群の活動で噴出した厚い溶岩流や火砕流堆積物で形成された山体が浸食されてできた峰である。ほぼ中央にある最高峰の剣が峰(標高3,067m)より左手(北側)には後半にあたる摩利支天火山群の活動で形成された8つの成層火山体が重なるように連なり、それらが山頂付近の地形をつくっている。
ジオの視点    御嶽火山の基盤は、山体の西側で濃飛流紋岩、東側で美濃帯堆積岩類であり、見えてる範囲ではすべて前者ということになる。注意しなければならないことは、それが標高2,500mほどまでのかなり高所まで分布していることである。御嶽山は3,000mにも達する高い山であるが、御嶽火山としての厚さは500mほどしかない。
写真 鈴蘭高原展望台から見た御嶽山
(撮影:小井土由光)
写真 2014(平26)年9月27日に活動した御嶽火山の噴火口から出ている噴気(鈴蘭高原展望台から2016年11月に望遠レンズで撮影)
(撮影:小井土由光)
古期御嶽火山群
御嶽火山の現在の山体よりも一回り大きな火山体をなして、約80km3におよぶ噴出物からなる成層火山が形成されていたと考えられている。新期御嶽火山の活動が始まるまでの約30万年におよぶ静穏期にその主体は崩壊してしまい、その上に新期御嶽火山の噴出物が覆ってしまったために、その全容はよくわかっていない。その山麓にあたる部分が、現在の山体の西側にあたる上俵山(かみだわらやま)(標高2077m)西斜面や北側にあたる秋神川上流域などに残されている。残存する部分から復元された火山岩類は、活動前期のおもに降下火砕堆積物や火砕流堆積物からなるテフラで構成されているテフラステージと、活動後期のおもに溶岩層で構成されている溶岩ステージに分けられており、組成は玄武岩質からデイサイト質まで幅広い。
新期御嶽火山群
御嶽火山において古期御嶽火山の活動終了後に約30万年にわたる長い静穏期を経て始まった活動で、現在の御嶽火山の中央部を構成する火山体を形成した。それらは活動の前半に形成された継母岳火山群と後半に形成された摩利支天火山群に分けられ、両者はほぼ連続的に起こったようであるが、噴出物の性質は明瞭に異なる。これらの活動では新期御嶽テフラ層と呼ばれる大量の降下火砕堆積物を噴出しており、有効な指標となる広域テフラとして中部・関東地方に広く火山灰層を飛ばしており、隣接する乗鞍火山がおもに溶岩を流出させていることと対照的な活動をしている。なお、その活動経過については、山麓部での降下火砕堆積物の層序解析などから異なる見解も出されている。
継母岳火山群
新期御嶽火山の前半に活動した火山群で、莫大な量の流紋岩質軽石の噴出で始まり、それにともない古期御嶽火山の山体中央部が陥没してカルデラが形成され、そこを埋めるように標高2900mほど、推定体積約50km3の山体が形成された。それらはおもに流紋岩質~デイサイト質の厚い溶岩や火砕流堆積物などで構成されており、現在は継母岳(標高2867m)からその西方へ連なる県境尾根周辺に残されている。この時期に噴出した火砕物が大量に木曽川流域に供給されて形成された堆積物が木曽谷層であり、大量の軽石が含まれる砂層として中~下流域で容易に識別されている。
火砕流
火山噴火において噴煙と同じものが溶岩のように地面に沿って流れる現象である。噴煙の中には火山灰(ガラス片)のほかにマグマのかけらに相当する軽石や噴火の際に取り込まれる既存の岩石などが入っており、それらの固体をまとめて火山砕屑物といい、それらが火山ガス(ほとんど水蒸気)と混ざった状態で地表面に沿って流れる現象である。これによってもたらされた堆積物を火砕流堆積物という。火砕流はきわめて流動性に富む状態で運ばれるために、高温状態のまま高速で運ばれることになり、溶岩流などの噴火現象に比べるとはるかに危険な現象と理解しておかなければならない。
摩利支天火山群
新期御嶽火山の後半に活動した火山群で、前半の継母岳火山群の活動に引き続いて始まり、約10km3の安山岩質の噴出物を噴出して8つの成層火山をほぼ南北に重複するように形成し、現在の御嶽山頂上付近の地形をつくった。それらのうち末期の火山体が火口を明瞭に残している。この時期に発生した大規模な岩屑なだれ-泥流堆積物が木曽川泥流堆積物であり、山体の北東山麓から各務原市付近まで約200kmを流下している。最近の約2~3万年間は静穏期にあたっているが、その中でも最近の約6000年間に少なくとも5回の水蒸気爆発を起こしており、最新の爆発が1979年のものである(事項解説『災害』の項目「御嶽火山噴火」を参照)。
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
地質年代