項目 珪質粘土岩 けいしつねんどがん
関連項目 凡例解説>美濃帯堆積岩類>珪質粘土岩および優黒色泥岩
地点 加茂郡七宗町川並平(かわなみたいら)
見学地点の位置・概要    七宗町川並平に国道41号を跨ぐ歩道橋があり、その脇に製茶工場がある。その西隣にある畑の中を抜けて農機具小屋の横から深い竹林に入ると、不明瞭ながらも飛騨川河床まで下る道がある。河床には珪質粘土岩を含めて美濃帯堆積岩類を構成する各種の岩石が露出している。なお、帰り道がわからなくなるおそれがあるため、竹林から河床へ出る際には上り口としてのその位置をきちんと確認しておくことをすすめる。
見学地点の解説    河床の岸側には砂岩を優勢とする砂岩泥岩互層が分布しており、黒色の泥岩は強く破断している。これらは流路側に分布している珪質粘土岩ときれいな鏡肌をもつ断層で接している。珪質粘土岩はおもに微細な粘土鉱物(緑泥石など)からなり、一部にチャート層をともない、黒色泥岩と互層をなしている。これらは強い力を受けて褶曲した縞模様として見られ、おもに泥岩部には黄鉄鉱の集合体がレンズ状あるいは球状に含まれている。ここでみられる断層は、ジュラ紀に形成された砂岩・泥岩とそれよりも古い三畳紀初期に形成された珪質粘土岩の境界であり、こうした境界は付加体としての美濃帯堆積岩類でしばしばみられる現象である。ただし、ここでの珪質粘土岩は大きなブロックであり、側方へ連続して分布しているわけではない。
ジオの視点    珪質粘土岩は砕屑粒子をほとんど含まず、粘土鉱物だけからなる岩石で、その中に黒色の泥岩をはさむ。三畳紀の層状チャートの基底部にあり、炭素含有量がきわめて高く、三畳紀初頭における海洋の嫌気的な環境を表わす岩石である。古生代ペルム紀と中生代三畳紀の境界(PT境界)にあたる時期に海洋環境での酸欠状態が海洋生物の大量絶滅をもたらし、生物界における大変革をもたらしたイベントを示す岩石とされている。近畿地方の丹波帯(美濃帯に相当)で『砥石型頁岩』とされるものと同じで、細粒岩石であることを利用して砥石として活用されていた。
写真 七宗町川並平の飛騨川河床に露出する珪質粘土岩と泥岩との互層
(撮影:小井土由光)
写真 七宗町川並平の飛騨川河床に露出する珪質粘土岩と砂岩泥岩互層の間にある断層面
(撮影:小井土由光)
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
PT境界
古生代の最後にあたるペルム紀(Permian)と中生代の最初にあたる三畳紀(Triassic)の境界(約2億5,200万年前)であり、この境界において地球規模で生物の大量絶滅が起きたことで注目されている。大量絶滅は、約1000万年にもわたって海洋酸素が大規模に欠乏したことで起こったと考えられており、多岐にわたる海棲生物種の約95%が絶滅したとされている。2010年に舟伏山北部地域の林道沿いで、美濃帯堆積岩類のペルム紀後期のチャート層の上に重なる粘土岩層がPT境界を示す地層とされる論文が公表された。ちなみに日本ラインに分布するチャート層は酸素欠乏時期が終わり、酸素が徐々に回復していく時期に堆積したものとされている。



地質年代