項目 メランジュ めらんじゅ
関連項目 凡例解説>美濃帯堆積岩類>メランジュ
地点 下呂市金山町奥金山
見学地点の位置・概要    飛騨金山から馬瀬川沿いに国道256号を6kmほどさかのぼると、支流の横谷川が合流している。そこに馬瀬川との間に人家があり、その下流側(南東側)にある空き地の脇から馬瀬川河床へ下る道がある。その河床への下り口に美濃帯堆積岩類のメランジュが露出している。
見学地点の解説    河床には流路側に珪質泥岩が暗黒色のチャートのようにみえる岩石として分布しており、その岸側にあたる位置にメランジュが分布している。メランジュは、暗灰色~黒色で弱い剥離性を示す泥質基質中に砂岩・珪質泥岩・チャートなどの岩片・岩塊が引き伸ばされたような形態で含まれている。このメランジュ中の基質と珪質泥岩礫からジュラ紀後期~白亜紀最前期を示す放散虫化石が得られており、このメランジュが美濃帯堆積岩類の中で最も新しい時代に形成された岩石であるとされている。
ジオの視点    ある地質現象がいつ終わったのかを決めることはそれほど簡単なことではない。美濃帯堆積岩類の場合、ここで産出した白亜紀最前期を示す放散虫化石が唯一の“最新”のものである。今後、さらに新しい時期を示す化石がみつかるかもしれないが、次の地質現象の始まった時期より後になることは絶対にないから、白亜紀最前期がほぼ限界とみてよい。
写真 下呂市金山町奥金山の馬瀬川河床に露出するメランジュ(岩片・岩塊が引き伸ばされたような形態を示す)
(撮影:小井土由光)
写真 下呂市金山町奥金山の馬瀬川河床に露出するメランジュ(やや大きい砂岩の岩塊を含む)
(撮影:小井土由光)
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。
放散虫
海生の動物プランクトンとして先カンブリア時代から現在に至るまで生息している単細胞生物で、珪酸成分からなる0.1~0.2mmほどの大きさの骨格を持ち、そのため微化石として残されていることが多い。生息した時代により骨格の形態が異なり、その変化が速いために重要な示準化石となる。多くのチャートは放散虫骨格の堆積によって形成されており、それをフッ酸(HF)で腐蝕させた不溶残渣から実体顕微鏡下で放散虫を取り出し、走査型電子顕微鏡を用いて骨格の形態や微細な構造を観察する技術が1980年代になってから確立し、それにより美濃帯堆積岩類では薄いチャート層の単位で形成時代がなされ、それまでおもにフズリナ化石などで決められていた時代とは比べものにならない精度で時代決定がなされるようになった。こうした状況を「放散虫革命」という。



地質年代