項目 下油井流紋デイサイト質貫入岩 しもゆいりゅうもんでいさいとしつかんにゅうがん
関連項目 凡例解説>濃飛流紋岩>第2期火成岩類>下油井流紋デイサイト質貫入岩
地点 加茂郡白川町上油井(かみゆい)
見学地点の位置・概要    国道256号は飛騨金山と白川町下油井の間を国道41号と重複して走る。下油井で分かれた国道256号は飛騨川を渡り、対岸を上流へ1.8kmほどさかのぼって支流の佐見(さみ)川沿いに入っていく。飛騨川と佐見川の合流点付近、とりわけJR高山線の鉄橋下の佐見川河床に下油井流紋デイサイト質貫入岩の比較的新鮮な露出面がみられる。
見学地点の解説    5mmを超えるような大きなものから1mm以下のかなり細かいものまでさまざまな大きさの結晶が多量に含まれ、それらに埋め尽くされているように見える岩石からなる。しかし、結晶の間に基質部をもっており、結晶量の多い花崗斑岩あるいは花崗閃緑斑岩といった様相を呈する。ただし、肉眼ではわかりにくいが、顕微鏡で見ると細かい結晶の中には破片化しているものがかなり含まれており、通常の貫入岩とも異なる。また、含まれている結晶が全体に均質に見えるが、場所により一定方向に流れた跡を示すような流理構造をともなうことがある。
ジオの視点    この貫入岩体は、濃飛流紋岩の岩体南西部にほぼ南北方向に長さ約3㎞、幅約500mの規模で岩脈状に分布する。花崗閃緑斑岩にくらべて斑状組織があまり顕著でなく、岩体の形状は貫入岩であるが、破片状の斑晶を含んだり,基質部が不均質であったりして、火砕岩としての特徴もともなわれる。そのためこの岩体は、地下のマグマ溜り内での発泡作用をともないながら、火砕流として噴出する直前に固結してしまった貫入岩であると考えられており、土京(どきょう)流紋デイサイト質貫入岩とともに濃飛流紋岩のNOHI-3に属する金山火山灰流シートを噴出させたマグマ溜りの貫入相と考えられている。
写真 佐見川河床に露出する下油井流紋デイサイト質貫入岩
(撮影:小井土由光)
写真 流理構造を示す下油井流紋デイサイト質貫入岩
(撮影:小井土由光)
火砕流
火山噴火において噴煙と同じものが溶岩のように地面に沿って流れる現象である。噴煙の中には火山灰(ガラス片)のほかにマグマのかけらに相当する軽石や噴火の際に取り込まれる既存の岩石などが入っており、それらの固体をまとめて火山砕屑物といい、それらが火山ガス(ほとんど水蒸気)と混ざった状態で地表面に沿って流れる現象である。これによってもたらされた堆積物を火砕流堆積物という。火砕流はきわめて流動性に富む状態で運ばれるために、高温状態のまま高速で運ばれることになり、溶岩流などの噴火現象に比べるとはるかに危険な現象と理解しておかなければならない。
土京流紋デイサイト質貫入岩
濃飛流紋岩の岩体西部にあたる郡上市和良町上土京の土京川中流域から東方の岩屋ダム西岸地域までの東西約4km、南北約3kmの岩体およびその北西方の土京川上流域から郡上市明宝(めいほう)へかけての東西約3㎞,南北約4㎞の岩体からなり、それらの周辺にいくつかの小岩体が分布する。おもに多量の斜長石斑晶を含む明瞭な斑状組織を示す流紋デイサイト質貫入岩からなるが、大型の石英斑晶が目立つ岩相や破片状結晶を多く含んで溶結凝灰岩(とりわけ金山火山灰流シート)と区別が困難になる岩相など変化が著しい。斜長石は一部に自形面を残すが、ほとんどが破片状であり、石英も破片状か融食形をなす場合が多い。基質部は隠微晶質から細粒等粒状までいろいろな粒度を示し、かなり狭い範囲でも粒度の異なる部分が混在する。破片状の斑晶や不均質な基質部など火砕岩に類似した岩相を示すことで、地下のマグマ溜り内で発泡作用にともなう破砕作用も起っていた状態で固結してしまったと考えられ、下油井(しもゆい)流紋デイサイト質貫入岩と同様に、金山火山灰流シートを噴出させたマグマ溜りの残液が貫入したものと考えられている。
金山火山灰流シート
濃飛流紋岩のNOHI-3の最上部層をなし、岩体南西部においては飛騨川・白川流域から北方へ佐見川上流域、飛騨川流域~八尾山周辺地域、土京(どきょう)川上流域などに比較的まとまって分布し、岩体南東部においては長野県南木曽町柿其(かきぞれ)川流域から北西方へ下呂市小坂町若栃谷流域までの約 35 ㎞の範囲に帯状に分布する。層厚は最大で約500mである。斜長石の結晶片を多量に含む流紋デイサイト質の溶結凝灰岩からなり、角礫岩層や細粒凝灰岩層をともなう。斜長石のほかに苦鉄質鉱物(角閃石・黒雲母・輝石?)も多く含まれ、粗粒の石英結晶片(径4~5㎜)が散在し、径0.5㎜以下の細かい結晶片を多く含むことを特徴とする。一般に径3~4㎝の本質岩片が多く含まれ、その中に径2~3㎜の斜長石斑晶を多く含む。美濃帯堆積岩類に由来する石質岩片を普遍的に含む。分布域の北縁部で土京(どきょう)流紋デイサイト質貫入岩、南部の飛騨川流域で下油井(しもゆい)流紋デイサイト質貫入岩に貫かれ、そこで層厚が厚くなることから、両地域に給源があった可能性が大きいと考えられている。


地質年代