項目 屏風山断層 びょうぶやまだんそう
関連項目 事項解説>活断層>東濃地域>屏風山断層(概説)
地点 瑞浪市日吉町 清掃センター付近
見学地点の位置・概要    瑞浪市街地の北側には土岐川と支流の日吉川に挟まれてなだらかな山地が広がっている。その最高部付近に瑞浪市の清掃センターがあり、そこへ向けていろいろな方面から道路が登っている。清掃センターの南西側の展望の良いところから南方を眺めると、屏風山(標高794m)を中心とした標高のそろった屏風山山塊の山並みが東西方向に伸びている様子が望める。さらに東方へ目を移すと一段と高い恵那山(標高2,191m)が独立峰のようにそびえている。
見学地点の解説    屏風山山塊の北側斜面は急崖をなして北側の低地と接しており、この急崖の下を屏風山断層が通っている。この断層は必ずしも一本の断層線で示されるものではなく、いくつかの副断層・枝断層をともないながら全体として南側を隆起させる運動を繰り返し、その結果として急崖(断層崖)が形成された。とりわけこの隆起運動は東部ほど大きく、見かけは独立峰をなす恵那山も屏風山山塊から続く山嶺であり、隆起量が大きいために一段高い峰として見られるようになった。東濃地域に広く分布する瑞浪層群瀬戸層群の分布高度はこの屏風山断層を境にして大きく異なり、それらの形成後に断層活動が始まったことを示しているだけでなく、高度差が断層の変位量となる。
ジオの視点    屏風山断層は、阿寺断層系の南東端にあたる中津川市馬籠(まごめ)付近から、それに直交する東北東~西南西方向に瑞浪市南西部にかけて全長約32kmにわたり延びる。断層の南側には屏風山(標高794m)を最高峰とする標高750mほどの屏風山山塊が続き、その北側の断層崖に相当する急斜面の壁が大地に作られた巨大な屏風のように見えることからその名がある。屏風山山塊を隆起させる縦ずれ運動は、南側の山塊が北側へ乗り上げる逆断層として起こり、そのため断層は山塊側から崩れてくる堆積物の下に埋もれてしまい、断層自体は限られた地点でしか観察できない。かつて観察できた場所では、水平面から約60°の傾斜角で南へ向かって傾いた断層面の上側にある基盤の伊奈川花崗岩が、下側にある土岐砂礫層の上に南側から北側へ乗り上げている。その活動時期については、更新世前~中期に動いた証拠が確認されているが、更新世後期以降については確認されていない。
写真 瑞浪市清掃センター付近からの南方~南東方の眺望
(撮影:小井土由光)
恵那山
木曽山脈の最南端にある標高2191mの独立峰で、広範囲にわたる地域から船を伏せたような大きな山容を望むことができる。山体は濃飛流紋岩のNOHI-1を構成する恵那火山灰流シートなどからなり、その下半部は伊奈川花崗岩に貫かれており、山体の南側には美濃帯堆積岩類が分布している。恵那山から根の上高原などを含めた屏風山(びょうぶさん)山塊は屏風山断層や恵那山断層などの活断層により上昇隆起したブロックであり、その東部ほど隆起量が大きいために西部に比べて相対的に標高の高い山体が形成されている。
瑞浪層群
新第三紀の中新世に西南日本の古瀬戸内海と呼ばれる海に堆積した地層群の一つで、岐阜県の中濃地方から東濃地方へかけての可児・瑞浪・岩村の3地域に分かれて分布する。可児地域では下位から蜂屋累層、中村累層、平牧累層に、瑞浪地域では同じく土岐夾炭累層、本郷累層、明世累層、生俵累層に、岩村地域では同じく阿木累層、遠山累層にそれぞれ区分されている。これらは、大きくみると淡水域から汽水域、海域へと堆積環境が変化していったが、設楽層群などの他地域に分布する地層群に比べると浅海性の傾向がみられる。
瀬戸層群
東海層群のうち濃尾平野の地下を含めて伊勢湾以東の地域に分布する地層群で、岐阜県地域では東濃地方に分布し、下部層をなす土岐口陶土層と上部層をなす土岐砂礫層からなる。この地域では火山灰層がほとんど含まれないことで、内部層序あるいは地層対比がむずかしく、近接した地域でも堆積物相互の関係が明確にできない。
阿寺断層系
阿寺断層系は、中津川市馬籠(まごめ)付近から北西へ向かって、同市坂下、付知町、加子母(かしも)を経て、下呂市萩原町の北方へ至る全長約70kmにも及ぶ日本でも第一級の活断層系である。ほかの大規模な活断層系と同様に、複数の断層が平行にあるいは枝分れして走っている。それらのうち、おおよそ中津川市と下呂市の境界にある舞台峠付近より南に分布する断層群を阿寺断層と呼び、それより北に分布する断層群にはそれぞれ別の名称がつけられている。大きくみると、阿寺断層系は、その北東側にある標高1500~1900mの山稜部を持つ比較的なだらかな阿寺山地とその南西側にある標高1000m前後の美濃高原との境界部にある断層帯で、両者はもともと一続きの地形であり、地形上の高度差700~800mがそのまま断層による縦ずれ移動量を示すが、それよりも10倍近くの大きさで左横ずれ移動量をもち、それは断層を境に河川の流路が8~10kmも隔てて屈曲していることに表れている。
逆断層
大地に力が加わって壊され、特定の面に沿ってずれて食い違いが生じた状態を断層といい、食い違いが垂直方向に生じた「縦ずれ断層」と水平方向に生じた「横ずれ断層」に大別される。そのうち縦ずれ断層において、引っ張る力により生じた場合を「正断層」、押す力により生じた場合を「逆断層」という。これを実際に見える断層のずれ方で表現すると、前者は断層面を境に上側(上盤)が下側(下盤)に対してずれ下がる場合、後者はずれ上がる場合となる。
伊奈川花崗岩
中部地方の領家帯を中心に美濃帯南部も含めてきわめて広い範囲に分布する巨大な花崗岩体であり、そのうち岐阜県内には濃飛流紋岩の南縁部においてそれとの接触部にあたる浅部相が広く分布し、多くの地域でNOHI-1およびNOHI-2を貫いており、それらと火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。ただし、県南東縁の上村(かみむら)川流域では領家帯構成岩類の天竜峡花崗岩の周辺において三都橋花崗岩と呼ばれている深部相が分布するが、ここでは区別せずに扱っている。斑状あるいは塊状の粗粒角閃石黒雲母トーナル岩~花崗岩からなる。この花崗岩は、古典的な「地向斜-造山運動」論において造山帯中核部の地下深部で形成された花崗岩体の典型例と考えられていたが、1960年代に地表に噴出・堆積した濃飛流紋岩を貫いていることが発見され、地表近くのきわめて浅所までマグマとして上昇してきたことになり、それまでの火成活動史の考えを根底から覆えし、塗り替えることとなった。
土岐砂礫層
瀬戸層群の上部層を構成し、東濃地方の広大な東濃準平原を形成した河川が運び込んだ大量の礫により形成された砂礫層で、かなり広範囲にわたって分布する。層厚は数十~100mである。場所により礫種に差異があり、おもに濃飛流紋岩からなるタイプとおもに美濃帯堆積岩類のチャートからなるタイプがあるが、内部での層序や層相の関係はよくわかっていない。礫径は濃飛流紋岩で10cm前後、美濃帯堆積岩類で数~20cmであり、ほとんどが円磨度の進んだ円礫からなる。最大の特徴は、チャート礫を除いて、含まれている礫が風化してきわめて軟らかくなっていることであり、チャート礫だけが堅固なまま残されているため、それだけを含む礫層のように見える。
地質年代