項目 断層破砕帯 だんそうはさいたい
関連項目
地点 中津川市加子母小和知(おわち)
見学地点の位置・概要    加子母の谷に沿って走る国道257号は小和知地区へ向かう手前で加子母川を渡る。その加子母大橋の南詰から加子母川沿いにさかのぼり、1kmほどで緑色の円筒に覆われたベルトコンベアが道路を跨いでいる。その右側にサイロ状の大きなタンクが6基並んでおり、その裏側の崖に断層破砕帯がみられる。ただし、工場内であり、裏側の崖がきわめて崩れやすい状態にあることから、崖に近づくことは厳禁であり、道路上から眺めるだけとしなければならない。
見学地点の解説    ここには濃飛流紋岩のNOHI-3に属する下呂火山灰流シートが露出しており、本来はかなり堅硬な岩石からなる。ところが見える範囲すべてがボロボロに破砕された状態になって露出している。近づいて見ることができないため実際の露出面の状況は把握しづらいが、さまざまな大きさに割れた岩片と細かい砂が混じりあった状態になっている。これらは、既存の岩石が断層面に沿って一定の幅で形成される破砕帯を示すものである。ただし、主要な断層面がどこにあるのかは不明であり、かなりの幅で破砕帯を形成していることから、場所を変えながら断層運動が繰り返されたことで形成されたものと考えられる。それだけ長期間にわたり活発に活動してきた断層帯であることを示すものである。
ジオの視点    加子母地域における阿寺断層は複数の断層線からなり、全体として数kmの幅で断層破砕帯を形成している。ただし、幅広い破砕帯とはいっても、その内部にまったく破砕されていない堅硬な岩石が分布していることもある。個々の断層線は接合したり、途中で消滅したりしているはずであり、どのように続いているかを明確に追跡することはかなりむずかしい。この場所は小和知断層の南東延長上にあたる位置におおよそ相当しており、実際の断層線の位置は不明であるが、その断層破砕帯の一部を見ていると考えられる。
写真 加子母小和知の生コン工場でみられる断層破砕帯
(撮影:小井土由光)
写真 断層破砕帯の露出面
(撮影:小井土由光)
下呂火山灰流シート
濃飛流紋岩の岩体南縁部を除くほぼ全域にわたり分布し、NOHI-3の主体をなすとともに濃飛流紋岩の中で最大規模の火山灰流シートであり、最大層厚は1,000m以上もある。下部で流紋岩質の、上部で流紋デイサイト質の溶結凝灰岩からなり、岩体北部ではそのさらに上部に流紋岩質の溶結凝灰岩をともなう。これらの岩相間の関係は漸移的であり、場所によっては繰り返して出現することもある。流紋岩質の溶結凝灰岩は、径4~6mmの粗粒の斜長石・石英・カリ長石を多量に含み、苦鉄質鉱物として黒雲母・角閃石・不透明鉱物をを含む。長径数~十数cmの大型の本質岩片を多量に含む。流紋デイサイト質の溶結凝灰岩は、径3~5mmの粗粒の斜長石・石英を多く含み、苦鉄質鉱物として黒雲母・角閃石・輝石・不透明鉱物を比較的多く含む。いずれの溶結凝灰岩も長径10cmを超える大型の本質岩片を多量に含み、その中に径1cmを超える粗粒斜長石斑晶を多量に含むことを特徴とする。上部の流紋岩質溶結凝灰岩は下部のものに比べて本質岩片が径1cmほどと小型になる。
小和知断層
中津川市加子母と下呂市との境にある舞台峠は、阿寺断層系の下呂断層と小和知断層の間にはさまれるように位置する。下呂断層はこの付近が南東端であり、小和知断層は逆に南東の加子母方面に延びる。舞台峠の東側に広がる小郷の平坦地にある水無神社付近では、1586(天正13)年の天正地震の際に小和知断層のすぐ南側に長さ200m程度の副断層ができ、その間が相対的に陥没したことで池が生じたとされており、低断層崖や陥没地が現在も残されている。この陥没地付近での断層露出面やトレンチ調査によれば、1800年前以降に断層活動の証拠があり、それには天正地震時のものも該当する可能性がある。とりわけ、天正地震の時には舞台峠近くにあった大威徳寺(だいいとくじ)が崩壊したとの記録もあり、小和知断層と並走する湯ヶ峰断層におけるトレンチ調査からもその可能性が指摘されていることから、阿寺断層系の活断層が密集するこの地帯における断層活動による天正地震の発生の可能性が示唆されている。



地質年代