項目 屏風山断層 びょうぶやまだんそう
関連項目 事項解説>活断層>東濃地域>屏風山断層(概説)
地点 恵那市三郷町佐々良木(ささらぎ) 道の駅「らっせいみさと」
見学地点の位置・概要    恵那市武並町から山岡町へ向かう国道418号は、途中で屏風山山塊を南北に横切る。その山塊へ入る直前の低地は山塊に沿って北東~南西方向に延びており、そこに県道66号多治見恵那線が走っている。国道418号と県道66号線との交差点に道の駅「らっせいみさと」があり、そこから見られる屏風山山塊の北側の斜面が屏風山断層の断層崖である。
見学地点の解説    この付近で見られる山塊南側の斜面が断層崖であるといっても、それほど急崖をなしているとの印象はない。それは、断層崖に相当する斜面が断層運動で隆起していきながら崩れていき、その土砂が斜面の麓に厚く堆積していくことで一続きの斜面をなしていることに加えて、その上にいてそれらを近くから眺めているためである。それでもこの付近での斜面の高度差は約300mあり、これを少し離れた場所から遠望すると山塊の北側に急な斜面が連なっているように見え、その壁が大地に作られた巨大な屏風のように見えることからその名がある。隆起した山塊の中を南から流れ出る佐々良木川は、山塊の隆起量を上回って浸食したため、周囲の山地が高くなっても河川の流れる方向が変わらずに山地を横切るように流れている。こうした河川を先行谷という。
ジオの視点    屏風山断層は、阿寺断層系の南東端にあたる中津川市馬籠(まごめ)付近から、それに直交する東北東~西南西方向に瑞浪市南西部にかけて全長約32kmにわたり延びる。断層の南側には屏風山(標高794m)を最高峰とする標高750mほどの屏風山山塊が続き、それを隆起させる縦ずれ運動は、南側の山塊が北側へ乗り上げる逆断層として起こっている。そのため断層は山塊側から崩れてくる堆積物の下に埋もれてしまい、断層自体は限られた地点でしか観察できない。かつて観察できた場所では、水平面から約60°の傾斜角で南へ向かって傾いた断層面があり、その上側にある基盤の伊奈川花崗岩が、下側にある土岐砂礫層の上に南側から北側へ乗り上げている。その活動時期については、更新世前~中期に動いた証拠が確認されているが、更新世後期以降については確認されていない。
写真 道の駅「らっせいみさと」付近から北東方面を望んだ景観(右側の山塊の裾野を屏風山断層が通る)
(撮影:小井土由光)
阿寺断層系
阿寺断層系は、中津川市馬籠(まごめ)付近から北西へ向かって、同市坂下、付知町、加子母(かしも)を経て、下呂市萩原町の北方へ至る全長約70kmにも及ぶ日本でも第一級の活断層系である。ほかの大規模な活断層系と同様に、複数の断層が平行にあるいは枝分れして走っている。それらのうち、おおよそ中津川市と下呂市の境界にある舞台峠付近より南に分布する断層群を阿寺断層と呼び、それより北に分布する断層群にはそれぞれ別の名称がつけられている。大きくみると、阿寺断層系は、その北東側にある標高1500~1900mの山稜部を持つ比較的なだらかな阿寺山地とその南西側にある標高1000m前後の美濃高原との境界部にある断層帯で、両者はもともと一続きの地形であり、地形上の高度差700~800mがそのまま断層による縦ずれ移動量を示すが、それよりも10倍近くの大きさで左横ずれ移動量をもち、それは断層を境に河川の流路が8~10kmも隔てて屈曲していることに表れている。
逆断層
大地に力が加わって壊され、特定の面に沿ってずれて食い違いが生じた状態を断層といい、食い違いが垂直方向に生じた「縦ずれ断層」と水平方向に生じた「横ずれ断層」に大別される。そのうち縦ずれ断層において、引っ張る力により生じた場合を「正断層」、押す力により生じた場合を「逆断層」という。これを実際に見える断層のずれ方で表現すると、前者は断層面を境に上側(上盤)が下側(下盤)に対してずれ下がる場合、後者はずれ上がる場合となる。
伊奈川花崗岩
中部地方の領家帯を中心に美濃帯南部も含めてきわめて広い範囲に分布する巨大な花崗岩体であり、そのうち岐阜県内には濃飛流紋岩の南縁部においてそれとの接触部にあたる浅部相が広く分布し、多くの地域でNOHI-1およびNOHI-2を貫いており、それらと火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。ただし、県南東縁の上村(かみむら)川流域では領家帯構成岩類の天竜峡花崗岩の周辺において三都橋花崗岩と呼ばれている深部相が分布するが、ここでは区別せずに扱っている。斑状あるいは塊状の粗粒角閃石黒雲母トーナル岩~花崗岩からなる。この花崗岩は、古典的な「地向斜-造山運動」論において造山帯中核部の地下深部で形成された花崗岩体の典型例と考えられていたが、1960年代に地表に噴出・堆積した濃飛流紋岩を貫いていることが発見され、地表近くのきわめて浅所までマグマとして上昇してきたことになり、それまでの火成活動史の考えを根底から覆えし、塗り替えることとなった。
土岐砂礫層
瀬戸層群の上部層を構成し、東濃地方の広大な東濃準平原を形成した河川が運び込んだ大量の礫により形成された砂礫層で、かなり広範囲にわたって分布する。層厚は数十~100mである。場所により礫種に差異があり、おもに濃飛流紋岩からなるタイプとおもに美濃帯堆積岩類のチャートからなるタイプがあるが、内部での層序や層相の関係はよくわかっていない。礫径は濃飛流紋岩で10cm前後、美濃帯堆積岩類で数~20cmであり、ほとんどが円磨度の進んだ円礫からなる。最大の特徴は、チャート礫を除いて、含まれている礫が風化してきわめて軟らかくなっていることであり、チャート礫だけが堅固なまま残されているため、それだけを含む礫層のように見える。

地質年代