項目 伊奈川花崗岩 いながわかこうがん
関連項目 凡例解説>濃飛期火成岩類>第1期火成岩類(花崗岩類)>伊奈川花崗岩
地点 恵那市岩村町上切(かみぎり)
見学地点の位置・概要    恵那市街地から岩村町へ向かう国道257号と恵那市武並町から山岡町へ向かう国道418号をほぼ東西方向に結ぶ県道406号久保原阿木線の中間点付近に上切地区がある。そこから北へ市道が延び、山中に入ったところに徳祥寺という寺院があり、その進入路入口のすぐ南側の沢底に伊奈川花崗岩と濃飛流紋岩が露出している。
見学地点の解説    市道から沢底へは3mほどの落差で草やぶがあり、そこを下りなければならないが、沢底には上流側に伊奈川花崗岩が、下流側に濃飛流紋岩がそれぞれ分布しており、両者が明確な境界で接しており、さらに前者が15cmほどの幅で後者へ岩脈として貫いている。伊奈川花崗岩は境界部においても岩脈部においても等粒状完晶質の花崗岩組織をもって接しており、濃飛流紋岩はNOHI-1に属する恵那火山灰流シートで、強く熱変成作用を受けて暗色をなし、かなり堅硬となった溶結凝灰岩である。これらの岩石はこの地域に分布する瑞浪層群(岩村層群)の基盤をなす岩石で、谷底などの低地に分布している場合が多い。
ジオの視点    伊奈川花崗岩は中部地方の領家帯を中心に美濃帯南部も含めてきわめて広い範囲に分布する巨大な花崗岩体である。多くの地域で濃飛流紋岩のNOHI-1およびNOHI-2に属する火山岩類を貫いており、それらと火山-深成複合岩体を形成していると考えられている。この花崗岩は、古典的な地向斜-造山運動論において造山帯中核部の地下深部で形成された花崗岩体の典型例と考えられていたが、1960年代に地表に噴出・堆積した濃飛流紋岩を貫いていることがこの地域で発見された。それは花崗岩が地表近くのきわめて浅所までマグマとして上昇してきたことになり、それまでの花崗岩形成論を根底から覆えし、火山岩類と複合岩体をなすというまったく別の形成過程が考えられるようになった。
写真 岩村町上切における伊奈川花崗岩と濃飛流紋岩の貫入関係
(撮影:田辺元祥)
写真 伊奈川花崗岩
(撮影:小井土由光)
恵那火山灰流シート
濃飛流紋岩の岩体南縁部において、恵那山(標高2191m)から富士見台高原へ至る県境稜線部周辺のほか、恵那~岩村地域などに広範囲に分布する。濃飛流紋岩のNOHI-1の主体をなす火山灰流シートであり、形成時には東西約35km、南北約25kmの範囲に分布していたと推定され、最大層厚は1,000mを超える。恵那~岩村地域でコールドロンを形成しており、そこを給源の1つとして巨大なシートを形成した。大きくみると下部が流紋岩質(SiO2=76%前後)の、上部が流紋デイサイト質(SiO2=73%前後)の溶結凝灰岩からなり、それに合わせて斑晶量やその容量比が変化する傾向が認められる。ただし、コールドロン内部では上下位関係の変化としてはわからない。粗粒の結晶破片に富むことや多量の石質岩片を含むことなどの特徴をもつ。
溶結凝灰岩
火砕流によりもたらされた堆積物が溶結作用を受けると、その程度により強溶結、弱溶結、非溶結凝灰岩となり、一般には強溶結凝灰岩をさしていう。おもに火山灰が集まって形成された岩石ではあるが、強く圧密化した岩石となり、きわめて堅硬な岩石となる。



地質年代