項目 阿木川ダム あぎがわだむ
関連項目 事項解説>大型構造物>ダム>阿木川ダム
地点 恵那市東野字花無山(はななしやま)
見学地点の位置・概要    恵那市街地から岩村町へ向かう国道257号は、阿木川ダムの堤体の下からその上端の高さまで急峻な地形を大きなループを描いて上っていき、花無山トンネルを過ぎるとすぐに湖畔の休憩施設に至る。これに対してダム上流の岩村側からはほとんど高低差のないままダム湖(阿木川湖)に沿って進み、阿木川大橋でダム湖を渡ると湖畔の休憩施設に至る。休憩施設には防災資料館があり、阿木川ダムに関する諸資料が展示されている。
見学地点の解説    湖畔の休憩施設から奥へ進み、ダム管理所前の駐車場まで行くと、堤体上の道路を徒歩で対岸まで行ける。ダム周辺に分布する岩石は濃飛流紋岩のNOHI-1を構成する恵那火山灰流シートとそれを貫く花崗閃緑斑岩Ⅰである。これらがロックフィル型ダムの材料としても積み上げられており、大きなブロックが堤体上の道路から観察できる。阿木川ダムは阿木川の深い峡谷を堰き止めて作られており、そこは、恵那市三郷町の佐々良木(ささらぎ)川の場合と同様に、屏風山断層により上昇隆起した屏風山山塊をその隆起量を上回って下刻した先行谷に相当している。なお、誕生した阿木川湖はダム湖百選に選定されている。
ジオの視点    ロックフィル型ダムは、一般には地盤が堅硬でなく、コンクリートダムの建設が困難な場合に建設されることが多いとされている。ダム堤体の位置が屏風山断層に近いことから、それを支えるには十分に堅硬ではなかったと思われ、ダム堤体の体積を大きくして安定性を求めたと理解される。また、堤体に積み上げられる大きな岩塊を近隣で得る必要があることから、そうした岩石を得やすい濃飛流紋岩の分布域であることも大きく影響していると思われる。
写真 阿木川ダムの堤体
(撮影:小井土由光)
写真 阿木川ダムの堤体を作る花崗閃緑斑岩Ⅰの岩塊
(撮影:小井土由光)
恵那火山灰流シート
濃飛流紋岩の岩体南縁部において、恵那山(標高2191m)から富士見台高原へ至る県境稜線部周辺のほか、恵那~岩村地域などに広範囲に分布する。濃飛流紋岩のNOHI-1の主体をなす火山灰流シートであり、形成時には東西約35km、南北約25kmの範囲に分布していたと推定され、最大層厚は1,000mを超える。恵那~岩村地域でコールドロンを形成しており、そこを給源の1つとして巨大なシートを形成した。大きくみると下部が流紋岩質(SiO2=76%前後)の、上部が流紋デイサイト質(SiO2=73%前後)の溶結凝灰岩からなり、それに合わせて斑晶量やその容量比が変化する傾向が認められる。ただし、コールドロン内部では上下位関係の変化としてはわからない。粗粒の結晶破片に富むことや多量の石質岩片を含むことなどの特徴をもつ。
花崗閃緑斑岩Ⅰ
濃飛流紋岩の岩体南縁部だけにいくつかの不規則な外形を持つ径1~10㎞ほどの岩体として分布する。NOHI-1およびまれにNOHI-2を貫き、伊奈川花崗岩および苗木花崗岩に貫かれる。NOHI-1の噴出・定置に関連した恵那コールドロンの内部(殿畑岩体)あるいは北縁部(奈良井岩体)においては北東~南西方向に伸びた形をもって分布し、そこからはずれた地域では岩株状の岩体(高土幾山(たかときやま)岩体)として分布するほか、これらの周辺に小岩体が分布する。苦鉄質鉱物を比較的多く含む花崗閃緑岩質の岩石からなり、長径2~3㎝の大きな斜長石やカリ長石の斑晶を多く含み、全斑晶の容量比は40~60%である。石基は径0.5㎜以下の石英・斜長石・カリ長石・苦鉄質鉱物からなり、微花崗岩質組織あるいは微文象構造を呈する。細粒周縁相をほとんどともなわず、周囲の濃飛流紋岩に対しても熱変成作用を与えていない。
屏風山断層
屏風山断層は、阿寺断層系の南東端にあたる中津川市馬籠(まごめ)付近から、それに直交する東北東~西南西方向に瑞浪市南西部にかけて全長約32kmにわたり延びる。断層の南側には屏風山(標高794m)を最高峰とする標高750mほどの屏風山山塊が続き、その北側の急斜面が断層崖に相当しており、この壁が大地に作られた巨大な屏風のように見えることからその名がある。屏風山山塊を隆起させる縦ずれ運動は、南側の山塊が北側へ乗り上げる逆断層として起こり、そのため断層は山塊側から崩れてくる堆積物の下に埋もれてしまい、断層自体は限られた地点でしか観察できない。観察できる場所では、断層面が水平面から約60°の傾斜角で南へ向かって傾いており、その上側にある基盤の伊奈川花崗岩が下側にある瀬戸層群の土岐砂礫層の上に乗り上げている。なお、横ずれ運動もしており、断層を横切る河川流路に折れ曲がりがみられる。


地質年代