断層名 跡津川断層(高原川の屈曲) あとつがわだんそう
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場所 飛騨市神岡町東漆山(ひがしうるしやま)~土(ど)
概要    飛騨市神岡町の町から北西に向かって流れる高原川は、東漆山付近でほぼ直角に右へ曲がる。それから北東へ向かって神岡町土まで約2.7km進むと、今度は左に曲がり流路の向きを北西へと直す。本来はまっすぐに流れていた高原川は、跡津川断層のたび重なる断層運動によって水平方向に約2.7kmずれて2ヶ所でほぼ直角に折れ曲がる流路を形づくった。断層を境にして反対側が相対的に右へ動いているから、跡津川断層は右横ずれ断層となる。高原川と同じように、その西方を流れる宮川においても飛騨市宮川町角川(つのかわ)と種蔵(たねくら)の間において約7.5kmずれて流路がほぼ直角に曲げられており、ここに跡津川断層が通っている。
文献
  • 写真 神岡町土における高原川の屈曲
    (撮影:中田裕一)
    写真 準備中
    跡津川断層
    跡津川断層は、富山県の立山付近から南西へ向かって、飛騨市神岡町、宮川町、河合町を通り抜け、白川村の天生(あもう)峠付近までの全長約60kmにも及ぶ大断層であり、岐阜県における大規模な活断層系である阿寺断層系や根尾谷断層系などとともに日本を代表する活断層系の一つである。人工衛星画像でもその直線状の谷地形が明瞭に識別でき、大きく見ると一本の断層線として示されるが、実際には数本の断層が平行して走っていたり、枝分かれしたりしている。河川流路の折れ曲がりや断層崖などの断層地形が各所に残り、断層上のくぼ地には池ヶ原湿原や天生湿原のような湿原が形成されている。この断層は40万~70万年くらい前から活動を始めたとされているが、詳しいことはまだわかっていない。江戸時代末期の1858(安政5)年に起きた飛越地震は、跡津川断層が動いたことで起きたもので、断層沿いに多大な被害をもたらした。




    地質年代