項目 PT境界付近のチャート層 ぴーてぃーきょうかいふきんのちゃーとそう
関連項目 事項解説>トピックス>その他>PT境界
地点 各務原市鵜沼桜木町 木曽川河床
見学地点の位置・概要    各務原から美濃加茂方面へ向かう国道21号を日本ライン沿いに坂祝町方面へ向かうと、鵜沼宝積寺(ほうしゃくじ)町でJR高山線を陸橋で越える。そこを越えた地点にある信号交差点を右折して団地へ向かう道を進むと、コンビニ店の真後ろにあたる位置に木曽川の河床へ下りる階段がある。木曽川が通常の水位であれば河川敷は比較的広く、そこを下流へ向かい、岩場が砂利に覆われてほぼ露出しなくなる地点まで進むと、赤褐色と黒色~灰色のチャート層が露出している。
見学地点の解説    ここでは岸側に赤褐色の層状チャートが、川側に黒色~灰色のチャート層がそれぞれ分布している岩場が周囲の岩場から独立して露出している。これらの地層の上下関係は見ただけではわからないが、含まれる微化石から岸側が上位、川側が下位であると判断されている。いずれも中生代三畳紀の最下部層をなしており、これよりさらに川側にこれらの下位層にあたる古生代ペルム紀の最上部層があることになるが、残念ながらここにはそれらは露出していない。すなわち、ここに露出しているチャート層はPT境界付近の地層を示していることになるが、厳密なPT境界には相当していない。
ジオの視点    ここと同じようなPT境界付近の地層として岐阜市の金華山における優黒色泥岩があり、それは美濃帯堆積岩類における三畳紀の層状チャートの基底部にある珪質粘土岩の一部である。ここではそれに相当する地層よりも上位にあたる層状チャートが分布していることになる。
写真 各務原市鵜沼桜木町の木曽川河床に露出する赤褐色のチャート層と黒色~灰色のチャート層
(撮影:小井土由光)
写真 黒色のチャート層の近接写真
(撮影:小井土由光)
PT境界
古生代の最後にあたるペルム紀(Permian)と中生代の最初にあたる三畳紀(Triassic)の境界(約2億5,200万年前)であり、この境界において地球規模で生物の大量絶滅が起きたことで注目されている。大量絶滅は、約1000万年にもわたって海洋酸素が大規模に欠乏したことで起こったと考えられており、多岐にわたる海棲生物種の約95%が絶滅したとされている。2010年に舟伏山北部地域の林道沿いで、美濃帯堆積岩類のペルム紀後期のチャート層の上に重なる粘土岩層がPT境界を示す地層とされる論文が公表された。ちなみに日本ラインに分布するチャート層は酸素欠乏時期が終わり、酸素が徐々に回復していく時期に堆積したものとされている。
美濃帯堆積岩類
美濃帯は、飛騨外縁帯の南側にあってかなり幅広く分布する地質帯で、岐阜県内でも広範囲にわたる地域を占める。そこは、古生代石炭紀から中生代白亜紀最前期にかけての時期にチャート・石灰岩・砂岩・泥岩・礫岩などの海底に堆積した堆積岩類と海底に噴出した緑色岩(玄武岩質火山岩類)でおもに構成されている。下図に示すように、海洋プレートの上に噴出した海洋プレートの上に噴出した玄武岩質火山岩類は海底や火山島(海山)を形成して、その上にチャートや石灰岩・珪質泥岩などを徐々に堆積させながら大陸へ向かって年間数cmほどの速さで移動していく。海洋プレートは海溝部で大陸の下へ沈み込んでいくが、堆積物はいっしょに沈み込むことができず、はぎ取られたり、大陸側から運び込まれた砂岩・泥岩などとともに大陸側へ押し付けられ、混じり合って複合体(コンプレックス)を作りあげていく。こうした作用を付加作用といい、それにより形成された堆積物は付加体堆積物と呼ばれ、これまでそれらを総称して「美濃帯中・古生層」、「美濃帯中生層」、「美濃帯堆積岩コンプレックス」などといろいろな表現で呼ばれてきたが、ここではこれらを「美濃帯堆積岩類」と呼ぶ。それらは、それまで順に重なっていた地層が付加作用にともなって低角の断層を境にして屋根瓦のように繰り返して覆うように重なったり、複雑に混じりあったメランジュと呼ばれる地質体を構成し、整然とした地層として順番に連続して重なるようなことがほとんどない。そのため全域にわたり個々の地層名を付して表現することがむずかしいため、ここでは構成岩石の種類(岩相)によって表現する。これらの構成岩石は単独でも複数の組合せでもある程度の大きさを持つ地質体を形成しており、その大きさはcmオーダーの礫からkmオーダーの岩体までさまざまである。これらは岩相、形成時期、形成過程などの類似性から複数の地質ユニットに区分され、ユニット間は衝上断層で接することが多いが、その区分による表現はここでは用いない。



地質年代