項目 大威徳寺跡 だいいとくじあと
関連項目 事項解説>活断層>東濃地域>小和知断層(概説)
地点 下呂市御厩野(みまやの) 舞台峠
見学地点の位置・概要    国道257号は下呂側から加子母との境界にある舞台峠へ向かって大きなカーブを描いて上っていく。そこにさしかかる直前に地下道のある交差点があり、そこに「大威徳寺跡2km」の矢印表示がある。山道への案内指示にしたがって進むと、舗装道路ではあるがかなり狭い道を山へ登る方向へ500mほど行くと「鳳慈山大威徳寺跡」の史跡標がある。
見学地点の解説    大威徳寺跡の本堂等があった旧境内までは、史跡標からさらに三叉路を右へ進み600mほど上らなければならない。そこは旧別荘地であり、「本堂跡入口」といった案内表示板はあるものの、かなり荒れた状態になっている。唯一、発掘時の様子や地図が書かれた解説板があることで、おおよその場所は特定できるが、実際の寺院跡地付近は植林された深い森林となっており、当時の面影を示すものはまったくない。そのため苦労して現場へたどり着いたとしても特に見学すべき内容はなく、実際にこの史跡標のある比較的平坦な場所付近を小和知(おわち)断層が通っていたと推定されていることもあり、この付近で理解する程度にとどめておくことをすすめる。
ジオの視点    舞台峠は阿寺断層系の下呂断層と小和知断層の間にはさまれるように位置する。とりわけ舞台峠の東側に広がる小郷(おご)の平坦地にある水無(すいむ)神社付近では、1586(天正13)年の天正地震を起こした際に小和知断層に沿って陥没地が形成されたとされている。そこでのトレンチ調査などによれば、1,800年前以降に断層活動の証拠があり、それには天正地震時のものも該当する可能性がある。同様の可能性は小和知断層と並走する湯ヶ峰断層におけるトレンチ調査からも指摘されている。
写真 史跡標「鳳慈山大威徳寺跡」
(撮影:小井土由光)
写真 大威徳寺跡に建てられている解説板
(撮影:小井土由光)
小和知断層
中津川市加子母と下呂市との境にある舞台峠は、阿寺断層系の下呂断層と小和知断層の間にはさまれるように位置する。下呂断層はこの付近が南東端であり、小和知断層は逆に南東の加子母方面に延びる。舞台峠の東側に広がる小郷の平坦地にある水無神社付近では、1586(天正13)年の天正地震の際に小和知断層のすぐ南側に長さ200m程度の副断層ができ、その間が相対的に陥没したことで池が生じたとされており、低断層崖や陥没地が現在も残されている。この陥没地付近での断層露出面やトレンチ調査によれば、1800年前以降に断層活動の証拠があり、それには天正地震時のものも該当する可能性がある。とりわけ、天正地震の時には舞台峠近くにあった大威徳寺(だいいとくじ)が崩壊したとの記録もあり、小和知断層と並走する湯ヶ峰断層におけるトレンチ調査からもその可能性が指摘されていることから、阿寺断層系の活断層が密集するこの地帯における断層活動による天正地震の発生の可能性が示唆されている。
下呂断層
下呂断層は、下呂市と中津川市の境にある舞台峠付近から北西へ向かい、初矢(はちや)峠を経て、飛騨川沿いに下呂温泉街を抜け、下呂市馬瀬(まぜ)惣島方面へと延びる。全長約15kmほどであり、すぐ北西側をほぼ並走している湯ヶ峰断層とともに北西~南東方向に延びる阿寺断層系の北西部にあたる。下呂温泉のおもな泉源の位置は飛騨川に沿って通る下呂断層沿いに分布しており、その断層破砕帯にかかわって湧出している。
湯ヶ峰断層
湯ヶ峰断層は阿寺断層系の1つで、下呂市御厩野(みまやの)付近から乗政三ツ石、湯ヶ峰を経て、下呂温泉の北方へ向かって全長約10kmにわたり延びる。三ツ石は南西へ向って緩く傾いた段丘面の上にあり、その南西部に北西~南東方向に延びる高さ2~3mの直線状の低断層崖が谷の上流側に向いてある。ここで1986(昭61)年にトレンチ調査が行われ、トレンチ面にはその南西側に基盤の濃飛流紋岩が、北東側に上流や断層崖から供給された砂礫層がそれぞれみられ、南西側が明瞭に隆起していた。この調査で、約7,000年前以降に少なくとも4回以上の断層活動があり、最新の活動は約3100年前以降であることがわかった。さらに1990年のトレンチ調査では約1,000年前以降に活動したことが明らかにされ、1583(天正13)年の天正地震により崩壊したとされる大威徳寺(だいいとくじ)が南東へ数km離れた場所にあり、この断層が活動した可能性も考えられる。


地質年代