地震断層
地震は地下深部で大地が破壊される際の振動であり、その破断面が断層である。震源域に想定される断層を震源断層と呼び、その規模が大きくなって地表まで到達するようになり、地表にずれが出現したものを地震断層という。すなわち、地震断層は震源断層の延長部分が地表に出現したものであり、それだけ規模の大きな地震を起こした断層であることを示している。
根尾谷断層
根尾谷断層は、全長約80kmにわたり複数の活断層群からなる根尾谷断層系のうち、岐阜・福井県境にある能郷(のうご)白山(標高1617m)付近からほぼ根尾川沿いに南下し、岐阜市北端部に至る約35kmの長さをもつ活断層である。全体として左横ずれ変位が卓越し、北東側が沈下する縦ずれ変位をともなう運動を起こしている。根尾谷断層系のほぼ中央において比較的活発に動いてきた断層であることもあり、しばしば「根尾谷断層系」とまったく同義に使われて混乱を招いており、厳密には明確に区別して扱う必要がある。1891(明24)年にとりあえず最後の活動を起こして濃尾地震をもたらし、その際に形成された地表の変位を「根尾谷地震断層」と呼び、その代表例が国の特別天然記念物に指定されている通称「水鳥(みどり)の断層崖」である。これも単に“根尾谷断層”と呼ばれることが多く、日本地質学会もここを“根尾谷断層”として「日本の地質百選」に選定している。
濃尾地震
濃尾地震は根尾谷断層系の温見(ぬくみ)断層、根尾谷断層、梅原断層などが同時に動いたことで発生し、内陸地震としては国内で最大級の規模をもつ地震である。明治時代に入ってから起こったこともあり、大地に現れた地震断層ばかりでなく、被害の状況も詳細な記録として残されている。この地震により、美濃地方で死者4,889人、負傷者12,311人、全壊70,048戸、半壊30,994戸という被害がもたらされた。全国規模でも、死者7,273人という多大な被害を受けたばかりでなく、当時としての先端技術であった鉄道や煉瓦作りの建物に甚大な被害を受けたことで、富国強兵に邁進していた明治政府にとって大きな打撃となった。この災害を契機として耐震構造への関心が強まり、その研究が大きく進展していったり、この地震後に震災予防調査会が設置され、日本における本格的な地震研究がスタートした。

活 断 層

   日本列島は変動帯の中にあり、大地は現在も常に力を受けている。それに耐えられるうちは大地に目に見える変化は起きないが、限界にくると壊されてずらされる。こうした現象のほとんどは地下で起こるが、規模が大きくなると地表にまで達して地表面をずらすことになり、それらのうち最近になってずれたものが活断層である。その動く頻度はそれほど多くないが、長期間にわたり繰り返し起こると活断層に沿っていろいろな地形が形成されるだけでなく、平野や盆地の形成にも大きく影響することになる。中部地方は日本列島の中でも活断層の密集度が高い地域にあたっており、その中でも岐阜県地域はその割合がきわめて高い地域である。それらによって作りだされたいろいろな地形をわれわれは巧みに利用しており、それを知らず知らずのうちに生活の場で恩恵として受けていることになる。その一方で活断層が形成される際に生じる振動が地震であり、規模が大きなずれには規模の大きな地震がともなわれるから、ある日突然に活断層からまったく逆の災害という側面を地震という形で受けることになる。幸いなことに活断層の動きは人間の一生をはるかに超える間隔で起こるから非日常的なできごととなる反面、身の回りにあるはずの活断層が理解されないまま見過ごされていくことになる。ここではできるだけ多くの活断層をとりあげ、恩恵としての活断層のすがたと動いてしまったら多大な被害をもたらす活断層のすがたを具体的に理解していただくために実際の状況を紹介する。
 なお、地質図上に重ねて示される活断層線は「岐阜県活断層図」(鈴木・杉戸編,2010)を活断層(赤線)・推定活断層(赤破線)・地震断層青■)の3種類に括り、示された位置にそのまま表示してある。それらと個々の事項における指定場所が一致しない場合もあり、地震断層は根尾谷断層において1891(明24)年に濃尾地震を起こした断層に限られる。